嗚呼宮台真司(その2)

東京新聞「政府2トップ(安倍と麻生)のトホホな見識」に登場しています - MIYADAI.com Blog

池田名誉教授は「『いつの間にか…』なんて話ではなく、ドイツ全体が大変な騒動になった。その渦中で全権委任法は成立した。総選挙でのナチスの得票率は43%に過ぎず、過半数は支持していない。大きな摩擦があったことは容易に推察できる」。

先にも書いたように、麻生発言を批判している中には大きく二つの解釈があって、「ナチス憲法なんてなかったのに事実誤認しているアホ」というのと「全権委任法案は騒乱の中で決まったから事実誤認しているアホ」というものがある。池田名誉教授は後者である。


なお、麻生発言は、

憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。

というものである。「全権委任法」とは一言も言ってないことは確認しておきたい。


何度でも書くが、麻生氏はこれを

喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例

として話したと説明している。実際そう解釈するのが最も合理的な解釈というものだ。


それにもかかわらず池田教授がそう解釈しないのは「騒動の中では気付くに決まっている」と考えているとみて間違いないだろう。


しかし、麻生氏が「喧噪にまぎれて」といっているのと、池田教授がいう「大変な騒動」というのは果たして同じものなのか?


池田氏が「大変な騒動」というのは。

ヒトラーは就任後すぐに議会を解散し、3月に予定された次期総選挙で反対勢力を封じ込めようと画策。2月に国会議事堂放火事件が起きると、早々に犯人を共産党員だと決めつけ、党員の大量逮捕を図った。共産党員は潜伏せざるを得なくなり、同党は総選挙で議席を大幅に減らした。

さらにナチスは、当選した共産党員の議員資格も剥奪するなどし、全566議席中、過半数の288議席を得ることに成功した。

といったことだ。


確かに共産党員および支持者にとっては「大変な騒動」であったことは間違いないだろう。しかし、ドイツ国民全体からみて「大変な騒動」であったのかは考えて見る必要がある。有名なマルチン・ニーメラーの言葉に

はじめにやつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。

というのがある。「私」とあるのでこれはニーメラー神父個人のことではあるが、他のドイツ人だってそんなものだったのではなかろうか?


麻生氏が言っているのはそういうことではないでしょう。当時のドイツは失業者が溢れ、高インフレで経済が混乱していた。しかし政府は少数政党が乱立し機能不全に陥っていた。人々は混乱を収拾するための強力なリーダーシップを求めていた。直近の日本でも衆参のねじれのために一刻も早い景気対策が必要なのに遅々として進まないなどといった理由で「ねじれ解消」を求める声があった。当時のドイツはそれ以上に混乱していた。

第一党になったのは事実だが、ナチスの得票率は37%だった

その状態では、他の協力なくしてはナチスといえども大したことはできない。その点をスルーして共産党の弾圧をもって「大変な騒動」としている。事実はドイツ国民の多くは、そんなことは「小さなこと」として「大きな問題」を解決することを優先したのではなかったか?


繰り返すが麻生氏は「全権委任法」とは一言もいってない。「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった」だ。


「全権委任法」といえど「誰も気がつかない間に変わった」なんてことがあるわけがない。「誰も気がつかない」とは、経済の混乱を収拾するための対策を実行できる強い政府を望み、そのために憲法の変質を許容してしまい、結果としてナチスの暴走を許す結果になってしまったということだ。


つまり、一点にばかり関心が集中してしまって、他の大事なことが見落とされてしまったということだ。その危険性を指摘した人もいたに違いない。しかしその声は喧噪の中で聞き入れられることはなかったのだ。


麻生発言には、

 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

とある。『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるのは「極めて静かに対応してきた」からだ。ということだ。


一つのこと(例えば九条改正)だけに固執していれば、他の考え方に対して聞く耳を持てなくなる。いや正確には「文句を言う奴は平和ボケ左翼と同類なのだろう」といった決め付けをして「そんな意見は聞き飽きた」と退けることになるのだろう(麻生を擁護する奴は麻生支持者の右翼だという決めつけのように)。


喧噪の中であってもステレオタイプな反対意見ならば、そもそも聞かなくたって既にわかっていることだ。わかった上で判断しているのだ。そうではない多くの人が気付いていない「想定外の」問題点を指摘する意見を見極めて聞くことこそが重要なのだ。それには冷静さが必要なのだ。そういうことを麻生氏は言っていると考えるのが妥当というものだ。