語尾がカタカナ

昨日の「ですゾ」の件。


「ですぞ」については昭和初期どころか明治43年石川啄木『道』にもある。

『まあさ、さう笑ふものではない。老人(としより)の愚痴は老人の愚痴として聞くものですぞ。――いや、先生方の前でこんな事を言つちや済まないが、――まま、そ言つたやうな訳でね、停車場から出ると突然(いきなり)お芳茶屋へ飛込んだものさ。ははは。』

石川啄木 道


問題は「ですゾ」


これは「ですゾ」に限らず「語尾がカタカナ」ということについて考えるべきではないかと思われ。


文章の語尾を、たまにカタカナにする人には、どのような年代が多いですか? | 国語のQ&A【OKWave】
『●●だヨ』 『××ですネ』 なぜ年寄りは語尾をカタカナにしたがるのか | ログ速
などを見ると「年配の人が使う」「週刊誌が使う」というイメージがあるようだ。

田山花袋の一兵卒が多用しまくりでうざかったナ

とあるので見てみると、

 「大きな戦争になりそうだナ」
 「一日砲声がしたからナ」
 「勝てるかしらん」
 「負けちゃ大変だ」
 「第一軍も出たんだろうナ」

田山花袋 一兵卒
とある。なぜカタカナなのかはわからないナ

 でも、気がついたのですが、江戸時代の浮世絵や軽い物語に出てくるセリフも、語尾にカタカナ満載なんです。

文末の「ネ」が嫌い(駄) (3) : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


そういえばそうかもしれない。流行というわけではなくて昔からあって、ただし大衆文化としてであって真面目な場で使うようなものではなかったって感じだろうか。