空しい議論

Aという思想とBという思想をがある。どちらの思想も長い歴史を有しており著名な学者も多い。Aの思想とBの思想は対立しており、どちらの側にも多数の支持者がいる。それそれの思想を背景にしたXとYという人物がいて、ある問題に対する意見が対立してネット上で論争している。対立の原因は思想の違いによるもの。


そんな場合、議論した結果として意見が一致する可能性は限りなくゼロに近い。万が一XがYの主張が正しいと認めたとしても、それはXという1人の人間が転向したというに過ぎず、その背景にある思想の勝敗に決着がついたわけではない。


もし論争の過程で一方の思想の支持者の大多数がその思想を捨てざるを得ないような理論が提供されるようなことがあったとすれば、その論争は後に世界史の教科書に載ることになるだろう。しかし実際のところは論争の過程で提供されるものは既出のものであって、それで論破できるのならとっくの昔にケリがついているのであって論争自体が発生してないはずだ。


では、なぜ論争するのか?自分の主張の背景にはこういう思想があるのだと相手に説明し、また相手の思想がどのようなものであるかについて理解するために疑問点をぶつけてみたりすることには意味があるだろう(場合によってはその思想であってもその結論には至らないということが露見することもある)。


しかし相手には相手の思想があるのだからそれ以上のことは無駄である。何かを決定しなければならない議論ならば、論争のあとにお互いに譲歩するとかいったことはあるかもしれないけれどネット上の議論は通常そういったものではない。


よく言われるのが「目的は相手に負けを認めさせることではなくて、どっちを支持すべきか決めかねている読者に対して自分の正しさをアピールするためのもの」といった感じの説明だ。それは確かに意義があるだろうと思われるが、その意図が読者に伝わるものかというのは甚だ疑問。特に相手に罵倒を浴びせたりする場合は(元からの支持者を除けば)むしろ逆効果だろう。


客観的に見れば論争を始める前から論争をしても相手が主張を引っ込めることはないとわかりきっている種類の事柄に対してネチネチと議論をふっかけるというのは、ふっかけられる側にとって迷惑であるだけでなく、ふっかける側にとっても時間の無駄であろう。