⇒オタクだけど、オタクじゃない、「新世代オタク」(『Febri Vol.19』より) - ぐるりみち。
ネットやってりゃ特に興味なくたってアニメの話題が自然と目に入る。俺も10年前にネット始めた頃は殆ど知識がなくて、するとアニメとは全く関係ない話の中でもたとえ話とか何とかでアニメのネタが出てきて何が言いたいのか理解できないんで調べる。そうやって徐々に知識を得る。というわけで今の中高生だけでなく、おそらく中高年あるいは老年世代でも、ネットに嵌っている人はそれなりに知識があるはず。知ってても知らないふりしてる人もいるだろうけれど。
ところで
まず驚いたのが、今の中高生の間では、アニメやニコニコ動画を観る人は決して少数派ではなく、マジョリティであるとすら言えるくらい、多くの人間が接しているそうだ。さらに、多数派であるがゆえに、スクールカーストの上位に位置することまであるとか。
俺らの世代は普通にアニメ(とは言ってなかった「マンガ」だったと思う)や特撮を見ていた。見ていない人の方がガリ勉君・マジメ君扱いであり、今のオタクと似た立場にいた。
もっとも昔はテレビは一家に一台が普通でありテレビの選択権が親にある場合は見せてもらえないのは珍しいことではなかった。俺の家も夜7時はNHKニュースと決まっていたのでその時間帯の番組が見れるのは親が何かの用事でいない時だけだった。というわけで共通の話題になるのはもっぱら夕方の再放送の方であった。ただしその時間に見れる子供もいるわけで、そこにスクールカースト的なものが多少あった(あと朝7時にやってた「おはよう!こどもショー」も)。
というわけで、当時は学校でアニメや特撮の話をするのは極当たり前のことだった。ところが中学になった頃から少し状況が変わった。アニメや特撮の話といっても普通は登場人物やストーリーの話題なわけだが、やたら詳しいのがいて声優だとか監督だとか作画だと裏側の話を言い出すようになる。ただし詳しい方は詳しくない方に自慢げに説明して、詳しくない方はそれに感心するというだけのことだった。
それが変化したのを感じたのは俺の場合高校に入ったときだった。中学と同じ感覚でクラスメイトがアニメの話をしているみたいだったので、会話に入っていこうと思って声をかけたら「なんだこいつ」というような反応をされた。こっちはアニメの話題は単なるコミュニケーションツールだと思っていたのだがそうではなかった。彼らは実に専門的なことを話し合っていて、そこに単に好きなだけで詳しくない奴が口を挟むのは迷惑であったのだ。
その時俺は「おたく」という言葉を耳にした。この場合の「おたく」とは「あなた」という意味でつまり俺のことだ。クラスメイトに向かって「おたく」と呼ぶというのは非常に衝撃的だった。当時は親や先生に向かって「あなた」とか「あんた」と呼ぶことが一部であった。それには自分達とは違う外側の人というニュアンスがあったと思う。「おたく」にもそれと同じものを感じた。
それからしばらくして「オタク」という言葉を知った。ウィキペディアには
当初は漫画、プラモデル、鉄道模型などが好きな少年らが、団地主婦の「御宅のお子さん…」というせりふを真似し、友人らを指して「御宅は…」ということが流行であったことから、そういった分類の少年らを指して「オタク」と編集部内で呼称するようになったことが起源とする。
⇒おたく - Wikipedia
とある。
この「起源」はだいぶ後になってから知ったのだが、「オタク」という言葉を知ったとき、その時の出来事を思い出して実に適切なネーミングだと思ったものだ。ただし「オタク」という言葉がマスコミで取り上げられるようになったかなり早い段階で既に単にアニメなどの熱烈なファンというような使われ方をされていたように思う。