⇒「間髪をいれず」が殺された日 - アスペ日記
この記事にはおおむね同意できるのだけれど、ただ一点気になるところがある。
日本語が中国語と肩を並べるれっきとしたひとつの言語だという考え方は、今でこそ当たり前ですが、120年ほど前に日本初の近代的国語辞典といわれる「言海」ができた時代にも、そうした考え方はまったく一般的ではありませんでした。
「言海」の序文は漢文で書かれていますが、これは「俗な言葉」である日本語の辞書を出版するにあたって、「正しい言葉」である漢文による権威付けが必要だったからですね。
その後、日本語がまともな言語であるという考え方はだんだんと受け入れられるようになったものの、漢文の呪縛から脱するようなはっきりしたイベントがあったわけではないので、「間髪をいれず」のように、「漢文の理屈では…」のようなことを言う輩が絶えないわけです。
少なくとも120年前には漢文が「正しい言葉」だという考え方があったということですね。それは決して間違った考えというわけではなくて、それはそれで一つの考え方ということになりますね。で、現在では「日本語がまともな言語である」という考え方が主流になってきた。と。つまり、どっちが正しいかということではなくて、現在の「多数派」からみればそのようなツッコミは受け入れることのできない理屈だということになりますね(俺自身は現在の多数派の1人なんだけど)。
日本語がまともな言語であるという考え方はだんだんと受け入れられるようになったものの、漢文の呪縛から脱するようなはっきりしたイベントがあったわけではないので、
とあるのだから「漢文の呪縛」を意識している人は絶滅したわけではなくて、今でも相当数生き続けているわけで、そういう人がツッコミをするのは当然であって、しかもそれは一つの考え方であって間違っているというわけではないということになりますね。
とすると問題は、そんな漢文の呪縛を意識として持っていないにもかかわらず、生半可な知識でもってそんなツッコミをする人ということになりますね。
そこのところをちゃんと理解しないと、それはそれで今度はツッコミをする人に対して批判するのはいいとしても、的外れな批判をしてしまいかねないということになりますね。この記事を書いた人はそこをちゃんと理解しているとは思うけれど、読者の中には誤解する人もでてきそうな予感。