呉座氏が漢文を読めないという情報がツイッター上にあった。
昨夜は呉座勇一が元寇資料を読めずに真逆の解釈を著書でやってるのをみせてもらった。初歩の漢文であった。そして、日本語訳もすでに出ているものだった。資料読めないならだれでも数百円で買える和訳も参照していないことがわかった。呉座の資料読みはほんと適当だな、信頼するに足らん、と思った。
— カワイ韓愈 (@kawai_kanyu) 2021年3月20日
具体的には『戦争の日本中世史: 「下剋上」は本当にあったのか (新潮選書) 』(2014/1/24)「第一章 蒙古襲来と鎌倉武士」において『元史』の記述を
「(至元十一年)冬十月、其国に入り、これに敗れる。官軍(モンゴル軍・高麗軍)整わず、また矢尽く」
と和訳しているところ。だとすれば、文永の役(1274)においてモンゴル軍が敗れたことが「正史」に明記してあることになる。しかしながら原文は
冬十月 入其国 敗之 而官軍不整 又矢尽 惟虏掠四境而帰
であり「敗之」は「これに敗れる」ではなく「これを敗る」が正しい。全く逆の意味に解釈しているのだ。
しかし不思議なのは、呉座氏は先行研究を参照しているはずであり、この文の解釈がどうなされているかも知っていると考えるのが自然だ(それをしていないのだとしたらそれはそれで歴史学者としてどうなの?という話だ)。
そして自身の解釈がそれらと違うことを知れば、自身の解釈に誤りがあることに気付くか、もしくは従来の解釈が間違っており自身の解釈が正しいのだという結論に至るはずだ。その場合、『従来この文は「これを破る」と解釈されてきたが「これに敗れる」と解釈すべきである』といった説明を加えるのが自然だろう。ところが、そんな説明は一切ないのだ。
これは全く不可解だ。なぜなら呉座氏の主張するところは、「自主的撤退」説に対して
早期撤退は実質的にモンゴル軍の「敗北」であった。
という呉座氏の主張の重要な根拠となっているからだ。であればなおさら、従来の解釈の「誤まり」について強く主張すべきところなのだ。にも関わらず、この肝心のことを読者に提示しない。
さらに、謎なのは「これに敗れる」と『元史』に書いてあるのなら『実質的にモンゴル軍の「敗北」であった』と「実質的に」などと書く必要もなく「敗北であった」と書けばよいだろう。
つまり根本的には「敗之」を「これを敗る」ではなく「これに敗れる」と解釈することが間違ってる。しかし「これに敗れる」が正しいと考えている呉座氏の立場をとったとしても、やはり呉座氏の主張の仕方は理解に苦しむのだ。
あまりにも理解に苦しむので、俺は当初これは単純ミスではないかと思った。呉座氏も「これを敗る」と書くつもりだったのだが、うっかり「これを敗れる」と書いてしまったのだと。あるいは誤植とか。その可能性は捨てきれない。ただ呉座氏は他にも理解に苦しむことをしばしば書いているので判断に迷うところ。
(追記 2020/04/14 8:15)
2009年の2ちゃんねるの日本史板で「敗之」を「之に敗れる」と解釈してる人がいるとの情報。もしかしたらもしかするかも
「入其國敗之」を受動文と誤って解釈する事例は遅くとも2009年には既に見られ、『戦争の日本中世史』が出たのが2014年……
— cornicen (@cornicen69) 2021年3月23日