こうなると、「カンパツをいれず」が間違っていると言われる一方で「カン、ハツをいれず」と言うこともできないので、話し言葉からだんだんと消えていくことになります。
これと似てるのが、常套句として「あいつはウジ虫」とかいうと高確率である「それじゃウジ虫がかわいそうだ」というツッコミ。「ミジンコ」「アメーバ」などと表現しても同様のツッコミが高確率である。また「サル(チンパンジー)並みの知能」もそう。
「あいつはサル並みの知能だ」と言ったときにくる「それじゃサルがかわいそうだ」というツッコミは、より詳しくいえば「批判対称になっている人物とサルを比較すればサルの方が賢いので同じにされるとサルがかわいそうだ」という意味だが、実際のところはヒトとサルを比較すればヒトの方が知能が勝っているに決まっている。あくまで比喩表現なのだ。
もちろん本来的には「それじゃサルがかわいそうだ」という意味は、「奴のことを批判するのに月並な表現では物足りない」ということであっただろう。しかしそれがルーティン化してしまった。「○○並み」「○○以下」といったことを聞くと条件反射で「それじゃ○○がかわいそうだ」と言わずにはいられないサル並みの人が増えてしまった。
それが非常に鬱陶しいので俺はすっかり使わなくなってしまった。
まあ、これだけならまだいいほうだ。例え話として「○○と××は同じだ(似ている)」とかいったことでもツッコミが入る可能性は高い。たとえ話だから両者が全く同じではないのは当然のことだ。「これこれこういう点が似ている」という話なのだから「その点に関しても同じではない(似ていない)」という批判ならばいいのだが、両者を全く同じものだとみなしていると決め付けて批判されるリスクがある(わかってやっているのか天然なのかはわからない)。だから例え話や比喩表現もできるだけ控えたほうが良いというのが今の世の中だ。しかし、それではあまりにも表現が制限されてしまうので、神経を使いながら使い続けるしかないだろう。