サン=フェリペ号事件

 当時の国内外の海事法では積み荷の扱いは船側にあるにもかかわらず、秀吉側は何を誤解したのか、「漂着した積み荷の所有権はその土地に移るのが昔からの日本での習わし」などと主張してしまったのだ。

キリスト教による「日本征服」恐れた秀吉の信じがたき横暴 (産経新聞) - Yahoo!ニュース


ウィキペディアでは以下のように説明されている。

当時日本にいた宣教師ルイス・フロイスもこの事件の顛末を述べているが、そこでは「漂着した船舶は、その土地の領主の所有に帰するという古来の習慣が日本にあったため」積荷が没収されたと述べている[3]。歴史書でもしばしば「漂着した船の積荷には、その土地へ所有権が移る」のがこの時代の海事法(廻船式目)であったため」というような記述が見られるが、そのような言い方は誤りである(廻船式目とは鎌倉時代に当時の海上の慣習を文章化した上で鎌倉幕府の裁可を得たものだが、後に長宗我部元親がこれを発見し、豊臣秀吉の「海路諸法度」(1592年)の元になった)。

廻船式目では第一条で難破船の積荷の扱いについて述べているが、難破船に生存者がいない場合はその資産を漂着地の神社仏閣の造営費にあててもかまわないと述べており、「海路諸法度」では漂着船がでて積荷を入手したものがいても、船主から請求があった場合、ただちに積荷を返さなければならないと述べている。つまりサン=フェリペ号の場合、廻船式目でも海路諸法度でも積荷の権利はスペイン人船員たちに保障されているのである。

サン=フェリペ号事件 - Wikipedia


この記事は『秀吉の南蛮外交』(松田毅一)を参照して書かれている。というわけで産経の記事は、少なくとも松田毅一という一流の学者の主張を根拠としている。


ただし、

秀吉側は何を誤解したのか

というのは何を指しているのか解釈に苦しむ。

(1)秀吉が「積み荷の扱いは船側にある」のに「所有権はその土地に移る」と誤解してしまったという意味か?
(2)スペインに侵略の意図があると誤解してしまって「積み荷の扱いは船側にあるにもかかわらず」「昔からの日本での習わし」と強弁したという意味か?


少なくとも(1)はおよそ考えられない。なぜなら秀吉自身が「海路諸法度」を制定したのだから。豊臣秀吉の「海路諸法度」(1592年)17条には

流れ候船を取り留置候時は其の船主改め来り次第に少々酒手を取候て渡可由候

とある。それを忘れるはずがない。


一方(2)についてだが、これも問題がある。なぜなら「漂着した積み荷の所有権はその土地に移るのが昔からの日本での習わし」というのは秀吉がそう主張したという記録が残っているわけではなく、フロイスの報告書でそう説明されているだけだからである。フロイスがそのような情報を入手したという可能性もあるが、これより10年前の報告書でも「難破船の荷は没収される」と記しており、その時の知識を元にして書いた可能性もある。


すなわち秀吉がサン=フェリペ号の荷を没収したのは、自己が制定した法令を忘れてしまったというわけでもなければ、「昔からの日本での習わし」を復活させたというわけでもなく、サン=フェリペ号遭難という特殊な事例において特殊な判断を下した可能性が十分にあるということだ。


松田毅一氏は10月24日に明の沈惟敬が朝鮮撤兵を要望したため、秀吉が激怒し再出兵を誓ったという出来事を重視している。
沈惟敬 - Wikipedia
この翌日に土佐より南蛮船漂着の報が届いたのだ。秀吉は異常な興奮状態にあったので、その興奮に駆られるまま没収を命じたのだと推定している。


真相は不明だけれどもこれは特殊な事例であって「何らかの理由なり動機なくして積荷を没収することは考えられまい(松田氏)」ということだけは確実であろう。


豊臣秀吉と南蛮人 (松田毅一著作選集)

豊臣秀吉と南蛮人 (松田毅一著作選集)