八紘一宇(その3)

で、上の記事に書いたけれど、「日本神話」は日本という土地に限定された神話として、少なくとも『日本書紀』『古事記』以来長らく伝承されてきた。一方、『旧約聖書』は全世界・全宇宙の成り立ちを記したものとして、当時は未知であった土地ですら神が創造したものと解釈されることになったのである。


しかしながら「日本神話」も本来の形は全世界の成り立ちを語ったものであったであろうと推測されるわけで、それが「日本」という限定された地域の神話として発展してきたことによって、矛盾が生じてくることになるのである。


その一つが、既に書いたように、日本以外の土地はどのようにして生まれたのかという問題であるが、他にも太陽神という重要な問題が生じるのである。


太陽は世界に一つしかないのだ。太陽は日本だけを照らしているわけではない。他の国も照らしているのだ。ところがそれに関する神話がないのだ。なぜ無いのかといえば何度も書くように、「日本神話」とされているものが、本来は「全世界の神話」であったためであり、それを「日本神話」という形に圧縮してしまったために、その外側には何もなくなってしまったからであろう。


しかし一度「日本神話」という形に固定されてしまったからには、それを前提に考えなければならない。中国やインドを照らす太陽は何なのかという問題を、日本人はどう考えてきたのかということに興味があるが、俺は無知なので知らない。


※ ただし俺の個人的な考えでは、この問題があるゆえに、日本神話における「日神」は「アマテラス≠太陽神」に置き換わったのだと思う。これは前に書いた(まだ書きかけ)。通説ではアマテラスは太陽神だと考えられているけれども俺は全く納得していない。


なお、「アマテラス=太陽神」という前提の元に江戸時代に本居宣長上田秋成のあいだで論争が勃発した。上田秋成天照大御神が照らす範囲は日本だとした。一方本居宣長はそれを批判した。
日の神論争 - Wikipedia
この論争は非常に興味深いものであり、「八紘一宇」にも関わってくるものと思われるが、長くなるので略。


江戸時代にもこういう論争があったわけだが、維新後になると、長らく「日本の神話」という限定されたものとなっていた日本神話が、グローバル化してくるようになる。


ただし、俺はこの件に関して詳しくない。ただ、竹内文書や木村鷹太郎などはそういう流れの中にあるものだろうし「八紘一宇」もそうだろうと思う。
竹内文書 - Wikipedia
木村鷹太郎