日本の幽霊の手(番外) 狂骨(その3)

話がどんどん膨らんでくるんだが、幽霊に関してよく語られる「足の無い幽霊」についても考察する必要がでてきた。


「足のない幽霊を最初に書いたのは円山応挙」という話をよく聞くけれど、これには異論がある。ここが詳細に解説している。
「円山応挙が足のない幽霊を初めて描いた説」に疑問
足の無い幽霊画は円山応挙よりも前から存在する。ただし肉筆画によるものは応挙が最初だそうで、これが応挙起源説が出来た理由ではないかと考えられる。そして画のタイトルが「反魂香之図」であることから、足が無いのではなくて、香の煙で足が見えないだけだという説がある。説得力があると思う。本来は「足が見えない」だったのが「足が無い」と誤解されて、それが広まったということだと思われ。


※ ちなみに「ろくろ首」は、

これはもともと、ろくろ首(抜け首)の胴と頭は霊的な糸のようなもので繋がっているという伝承があり、石燕などがその糸を描いたのが、細長く伸びた首に見間違えられたからだとも言われる[17]。

ろくろ首 - Wikipedia
ウィキペディアには説明がある。俺はどこだったか忘れたけれど、本来は首が胴体を離れて飛び回っていたのが、その絵画的表現として線をつけたら(今でもボールが飛ぶとかの漫画表現でよくある手法)が首が伸びていると勘違いされたという説を見たことがある。


で、足の無い幽霊に戻って、本当は足があるのに煙で見えないというのは説得力のある説明だけれど、俺はさらにこれには「煙を描く必要があったから足が見えない表現になった」のか、それとも「足を見せないようにするために煙(アニメの湯気や「謎の光」的役割」)を描いたのか」という問題があるように思う。というのも、古くは記紀神話ヤマトタケルが死後白鳥になったという話があり、また平安時代の『扶桑略記』に天智天皇が山科に行幸して還らず、沓の落ちていたところを山陵としたとあり、白鳥は空を飛びあるいは木々に止まり大地と接しない。また沓が落ちているのは沓を必要としない、すなわち足と大地が接していないということではないかと思われ、古来死者は足が地面と接していないという考え方があったのではないか?と考えるからである(俺の個人的な考察だけど)。そういう思想が後の時代に一般的ではなかったにせよ細々と伝承され、江戸時代になって足を描かないという表現手法が誕生したのではなかろうか?


で、これが「狂骨」と何の関係があるのかというと「狂骨」も足がない。しかしながら、「狂骨」の場合は下半身にいくに従い身体が細くなって最終的には尻尾のようになっていて足が無いという形状になっているのである。しかも足がある部分が描かれていないのではなく、人体で足に相当する部分はちゃんと描かれているのである。つまり、あるべきところにあるべきものが無いのである。


これは円山応挙等が描くところの「足の無い幽霊」と同種とみて良いのだろうか?俺は違うのではないかと思う。


もっとも、この形状(下半身が細くなって先っぽは尻尾のようになっている幽霊)は現代の我々にはお馴染みのものである。「幽霊 イラスト」で検索すればむしろこっちの方が多数派だ。
幽霊 イラスト - Google 検索
で、これを見れば一目瞭然だが、頭に三角の布を付けた日本風幽霊と、西洋風の幽霊とが混在している。日本風幽霊の西洋風幽霊の違いは三角形の布が付いているかいないか(および和服を着ているか、髪の毛が生えているか)の違いである(シーツお化けは除く)。


※ なお「幽霊 足が無い」で検索すると外国人が日本の幽霊に足が無いことを不思議に思っているという趣旨の記事がヒットするのだが、この足の無い西洋お化け(ghostで検索してもいっぱいヒットする)は外国人にとって何なのだろうか?むしろそれが不思議である。
幽霊 足が無い - Google 検索


この点から見ても「狂骨」は日本人(幽霊)離れしているように俺には見えて仕方ないのである。


※ ただし「狂骨」ほどではないにしても画像検索すると下半身が若干細くなっているように見える幽霊画は存在する。だから「狂骨」が西洋由来だと言い切れるほどではないのが悩ましいところ。