日本の幽霊の手足(その2)

今回は諏訪春雄氏の説。
諏訪春雄 - Wikipedia


諏訪春雄通信 83
諏訪氏「幽霊に足が無くなったのも地獄のせいです」と主張する。これは応挙説(反香魂説含む)に次いで良く取り上げられている説。

 亡霊が足をうしなった理由は二つあります。一つは雲です。中世以来の日本人の絵画表現では、神、仏、亡霊などの超越的存在が乗り物として雲を使用しています。

これは大雑把に考えれば確かにその要素はあるだろうと思う。ただ俺の無知のせいなんだろうけれど「亡霊」が乗り物として雲を使用している具体例を知らない。ただし、諏訪氏はこれに続けて

たとえば、中世の絵巻『法然上人絵伝』で、法然上人が夢中に中国の浄土教の始祖善導上人に逢い、専修念仏をうけつぐ二祖対面の図で、善導上人の亡霊は雲にのって飛来しています。また、『北野天神縁起』で、日蔵上人が金峯山で修行中に頓死したのち、天神の道真にともなわれて六道をめぐるときの乗り物も雲です。この雲の乗り物では足が見えません。そして、超越者は雲にのらなくても飛行できるという観念が生れたときに足が消えます。

と書いている。ということはこれが「亡霊」が乗り物として雲を使用している具体例ということになるのだろう。ただ「善導上人」や「日蔵上人」を「亡霊」とするのは適切なんだろうかという疑問がある。偉大な僧なんだから「成仏(仏陀になるという意味で)」はしてないかもしれないけれど、それなりの(神仏のように雲に乗れる)存在になっているのではなかろうか?このあたりのことは『法然上人絵伝』や『北野天神縁起』を見れば何か書いてある可能性があると思われ、それを確認しなければならないだろう。


一方、死者が空に浮いているということでは、前に書いたようにヤマトタケルが白鳥になり、また天智天皇の沓が落ちていたという伝説がある。天智天皇については「尸解仙(しかいせん)」の思想があると思われ、ヤマトタケルは日本古来の思想があると思われ、また倭姫王が天智が危篤状態になたときの歌「青旗の木幡の上をかよふとは 目には見れども直に会はぬかも」が万葉集にある(天智の魂が木幡山の上を往来しているという意味だと解釈されている)。


つまり死んだ者が空に浮かんでいるという考え方は、世界に広く分布した考えで(ただし人間なら誰でもというわけではないようにも思われ)、かなり古層に属していて、それが日本古来の思想や道教や仏教という形になって、さらにそれが混交していくという複雑な過程があったんじゃないかと俺は思う。


(つづく)