日本の幽霊の手足

「日本の幽霊の手」というタイトルなのに足の話ばっかり書いてるのでタイトル変更。手の話を書くつもりだったんだけれど、手よりも足についての今まで見たこともなかった新情報が次から次へと出てくるもんで。


今回は「日本の中世及び近世における夢と幽霊の視覚表象」(加治屋健司)という論文。
日本の中世及び近世における夢と幽霊の視覚表象-広島市立大学機関リポジトリ


幽霊に足がなくなったきっかけの一つは「消える過程の絵画化」だという仮説。


つまり、何も無いところから幽霊が現れる、または消えるという場面を一つの絵で表現するという問題を「存在する像と不在の像を一つの像に総合する」ことによって解決したということ。


これは一理あるように思われる。


「透明人間になる薬を飲んで透明になるところを一枚の絵で書きなさい」と言われたら半分消えて半分残ってる絵を書くかもしれない(半透明とか消えた部分を点線で表現するとかいった手法もあるだろうけれど)


ただし、加治屋氏も「きっかけの一つ」と書いているように、それだけが原因ではないだろうとは思う。


※ ところでここに新たな疑問が。この論文に『花山院きさきあらそひ』の「藤壺」の画像(ここでやっと絵を見ることができた)と山本春正の『絵入源氏物語』の「物の怪」の画像があるんだけれど足の部分が描かれてない。描かれてないけれど本当はあるという説は理解できる。理解できるんだけれど、ではこの画像に足を付け加えるならば、それはどんな状態になっているのかという疑問。


俺は昔の絵の遠近感がどうもよくわからないんだけれど、顔の位置から推理すれば「直立している」と考えたくなるところ。しかし直立していたとしても果たして足の先は地面(畳)に届いているのか?というところがどうにも微妙な感じがするのだ。地面に届いてないとすれば、彼女たちは空に浮いていることになる。そして浮いているということが有りなのであれば、直立しているとは限らない。座っているのかもしれないではないか。実際この論文に引用されている図像には座っている人物が空に浮いているものが多数あるではないか。


次から次へと出てくる新情報。そして次から次へと浮かぶ疑問。際限がない…