日本の幽霊の手と足(最後に)

これで本当に終わり(いずれまた書くかもしれないけど)。


何度も書くように、円山応挙の「返魂香之図」は下半身が描かれてない。足が無いのか煙で見えないのかはともかく、足の部分がどうなっているのかわからない。なお「返魂香之図」というけれど、絵を見ただけでは返魂香(反魂香)によって呼び出された霊だと理解するのは難しい、というか無理だろう。白居易の「李夫人」によれば李夫人は元気な頃の姿で現れた。反魂香とはそういうものだと考えられていたし、江戸時代の絵でもそういうものだとして書かれているのであろうと思われるものがある。応挙の絵の女性は髪が乱れており元気な姿には見えない。そもそも「返魂香之図」というタイトルが本来のものなのか極めて怪しいのではあるまいか?


このような「応挙型」の幽霊画がある一方で、同じく足が無いといっても、下半身が細くなっている幽霊画がある(「ランプ魔神型」と命名しとく)。「応挙型」と「ランプの魔神型」には関係があるのかもしれないけれど、研究する際にはその違いを認識しておく必要があると俺は思う。


なお「ランプ魔人型」とはいうけれど様々な種類がある。基本形は煙が立ち上ってそれが人の姿になる「反魂香型」のものであろうと思われるが、煙状のものではなくて見た目は物質であるかのように見えるものもある。これは歌舞伎で表現するのに布などを使用したことが影響しているのかもしれないが、それ以前に既にそうなっていたのかもしれない。また幽霊は霊的な存在だから、その部分は霊的なものとして描かれているのかもしれない。また幽霊の体とそれ以外の境目が不明瞭なものもあれば、はっきりと分離されているものもある。


この「ランプ魔人型」のルーツは反魂香であろうと俺は思う。ただし煙の中に人の姿が見えるという表現なら、煙が人の姿の周囲にあるという表現方法もある(鈴木春信の「見立反魂香」はそうなっている)のに、「ランプ魔人型」は出てくる煙の全てが人の姿を形成する一体型になっている。なぜそうなったのか考える必要があるだろう。


ただし反魂香だけがルーツかといえば、そうではないだろう。「ランプ魔人型」に近い表現方法は他にもあるからだ。その一つは夢の絵画化。もう一つは頭の中で考えていることの絵画化。寝ている人が見ている夢や、起きている人が頭の中で考えていることをフキダシのようにして描く手法は昔からあり、そして今でもマンガで使われている。これは反魂香と良く似ている。


さらにもう一つ考えなければならないと思うのは人魂
人魂 - Wikipedia
人魂は火の玉で、それが飛んでいるのだから後部は細くなっていて、その様子は「ランプ魔神型」の下半身と似ている。



さらにさらに考えなければならないのは「西洋お化け」。あの白くてふわふわ浮いているやつ。これはこれで霊魂のようなのもいればシーツをかぶったような姿のもいて、どうしてそうなっているのか謎なんだけれど「ランプ魔神型」になっているのが多い。既に書いたように検索して出てくる近年の幽霊のイラストは日本も西洋もほぼ同じで、西洋おばけの頭に黒髪と三角の布をつけて、白い衣装を着せれば日本の幽霊になる。これはあくまで近年の傾向で、俺が子供の頃は幽霊の絵をかく場合にはそれにくわえて「お岩さん」のように目が腫れているのが一般的だった。とはいえこの類似性は全くの偶然というわけでもないだろうとは思う。


(本当におしまい)