定義とは何か?

今まであまり考えてこなかった。


とりあえず国語辞書を見てみる。
ていぎ【定義】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

1 物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること。

これは理解できる。

2 論理学で、概念の内包を明瞭にし、その外延を確定すること。通常、その概念が属する最も近い類と種差を挙げることによってできる。

こっちはちょっと難しいこと書いてるけど、まあなんとなく理解できる感じ。でも本当に理解できてるのかは自信がない。


俺が悩んでいるのは、たとえば最近書いてる「幽霊」について。「幽霊とは何か?」という「定義」。国語辞書で見てみれば、

1 死者のたましい。亡魂。
2 死後さまよっている霊魂。恨みや未練を訴えるために、この世に姿を現すとされるもの。亡霊。また、ばけもの。おばけ。「―が出る」「―屋敷」
3 形式上では存在するように見せかけて、実際には存在しないもの。

ゆうれい【幽霊】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
とある。


辞書にケチをつけようとしているわけじゃない。そうじゃなくて、「幽霊」というものを定義するためには、「その定義しようとしている幽霊とは何か?」を決めなければならないのではないかという問題。言っている意味わかりますか?


幽霊が実在していて、その中の1人(人の形をしているのは人で数えるそうだ)が「私は幽霊です」と自己紹介する。さらにもう1人が「私も幽霊です」と言う。で、「あなたも幽霊ですか、あなた方はお二人とも死に装束を着ていますね、なるほど幽霊というのは死に装束を着ているものなんですね」といった具合に定義することができる。そこにまたもう1人の幽霊が出てきて「私も幽霊です」と言う。「おや、あなたは死に装束を着ていませんね。では幽霊は必ず死に装束を着ているわけじゃないんですね。じゃあ三人の共通点は何でしょう?そういえば3人とも既に死んでいらっしゃいますね。では幽霊とは死者の魂のことなんですね」といった具合に定義付けをすることができる。


ところがここにさらにもう1人が現れて「私も幽霊です」という。しかしそうは言うけど、普通の生きた人間にしか見えない。でも、だからといって「嘘つけ、おまえただの人間だろ」と言うことはできるのか?前の3人が幽霊だという根拠も「私は幽霊です」と自己紹介したということだけではないのか?


「そんなバカな、前の3人は死者の魂ではないか。お前はただの人間にしかすぎない」なんて言うことができようか?その幽霊の定義は、3人の「自称幽霊」に共通の特徴から導き出されたものだ。最初の2人のときは「死に装束を着ている」が共通点だった。ならば4人目の自称幽霊が登場したのだから定義を変えるべきであって彼を仲間はずれにするのは間違っている。ということになりはしないか?


まあ、これはわかりやすい例えとして極端なことを書いたものであって、実際には幽霊の事例は多数蓄積されているから、そこに普通の生きた人間が加わろうとしても、既に幽霊とされているものとの隔たりが大きいので、彼は幽霊になることができない。


実際上の話としては、そもそも幽霊は実在せず、文書や絵画などに登場する存在だ。そしてその「幽霊」とされているものは必ずしも幽霊だという説明がなされているものではない。ではなぜその幽霊とは明記されていないものを幽霊だとみなすのかといえば、幽霊とは何かという定義があってそれに合致すると考えるからだろう。


ではその幽霊の定義はどのようにして出来上がったのか?その定義は幽霊だと明記されているものだけによって作り上げられているものなのだろうか?幽霊だと明記されていないものを幽霊だとみなすのは、その厳密な定義に従ったものなのだろうか?ということを考えるとどうなんだろうと疑問に思えてくる。


具体的な例をあげれば反魂香によって呼び寄せる死者の魂。これは幽霊なんだろうか?幽霊は死者の魂だと辞書にある。しかしこれは死者の魂は幽霊であるという説明ではなかろう。反魂香によって呼び寄せる死者の魂を幽霊だと明記したものはあるのだろか?いや、それはあるかもしれない。実際のところは知らないけれど江戸時代には既に幽霊の一種とみなされていたかもしれない。ここのところがややこしいんだけれど、別に幽霊と呼ぶのが間違いだといいたいわけじゃない。ただ幽霊の研究をする場合に、幽霊とみなすかみなさないかは重要なポイントだと思う。


またこれも既に書いたように、地獄などの「あの世」に転生した者の霊が「この世」に現れる場合と、「あの世」に行かない、行けないで「この世」に留まっている霊を同じ幽霊とするのは大雑把すぎないだろうかという問題。両者をどっちも幽霊だとして同列にする考え方というのは既に長い歴史があるかもしれず、間違った考え方だとは言えないだろうけれど、これも幽霊の研究をする場合には意識しなければならないことではないだろうか。


いや、そんなことは研究者ならちゃんとわかってるのかもしれないけど。