日本の幽霊の手足(その6)

もういい加減終わりにしたいんだけれど、次から次へと湧いてくる疑問。収拾がつかなくなてきた。


今回もう一度白居易の「李夫人詩」。


武帝は李夫人の死後も夫人を愛して止まなかった。それで反魂香で夫人の魂を呼び寄せた。しかし呼び寄せた夫人の姿はおぼろげですぐに消えてしまった。そんなわけで武帝は魂を呼び寄せる前には心を苦しみ、呼び寄せた後も心悲しんだ。このように苦しんだのは武帝だけではない。人は木や石ではないので情があるのだ。だから最初から美女(傾城:君主の寵愛を受け国を滅ぼすほどの美女)に遭わない方がいいのだ。というのが大雑把な話。


なお、
李 夫 人
によれば、李夫人は病になったとき、武帝にやつれた顔を見せなかったので、死後も武帝の寵愛を受けたということが書かれている(つまり武帝は夫人の美しい顔しか知らないということだろう)。これは「夫人病時不肯別」の訳なんだろうけれど、どうしてそこまで読み取れるのか俺にはわからない。しかし専門家(前野直彬)監修の本を参考にしているので、ちゃんとした根拠があるのかもしれない(でも一応保留)。


それはともかく白居易によれば武帝が李夫人を愛したのは性格の良さとかではなくて美貌であることは疑いない。反魂香で呼び寄せたのも美貌の夫人に逢いたかったからに違いない。そして武帝の前に現れた夫人は「是耶非耶兩不知(本当に李夫人なのか判断できなかった)」けれども「翠蛾髣髴平生貌(美しい眉は普段の容貌に似ていて)」、「不似昭陽寢疾時(後宮で病に伏せていた時の姿に似ていなかった)」。つまりこれは元気だった頃の李夫人のごとく美しかったということだろう。



で、また円山応挙の「反魂香之図」に戻るけれど、顔は確かに美女の部類に入るだろう。しかしその容姿は健康なものだとは言えないのではないか?(特に髪型)。そしてこの絵が幽霊画だとされているのも不健康そうな容姿の故ではないのか?


しかし白居易の「李夫人」は病を患った時の姿ではなく健康だったときの姿で現れる。ついでに先に紹介した鈴木春信の「見立反魂香」の男も幽霊っぽさは微塵も感じられない。それより後の鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』の李夫人も病んだ姿ではない。


これは一体どうしたことだろうか?


このことから考えても円山応挙の「反魂香之図」が本当に反魂香を描いたものなのか疑わしく思えて仕方がない。そしてもし反魂香だったとしても、どうしてこのような絵になったのかという問題が発生するように思われるのである。