楽市楽座とは何だったのか?(その4)

さて元に戻って『信長研究の最前線』(日本史史料研究会編)より「信長の流通・都市政策は独自のものか(長澤伸樹)より。

そうしたなかで、これまで新都市建設法、自由商業法として捉えられてきた楽市楽座令は、近年、都市や市場など政策が施工される地域の視点から、全面的に読み直す研究がすすめられている。これにより現在では、革命的政権という仰々しい評価は改められ、楽市楽座令は地域住民の要望をうけて出されるもので、戦国大名のめざす立場は、都市や市場の強固な支配や搾取ではなく、これを復興・保護することにあったという見方が主流となっている。

俺はこれを読んでどういう意味なのか理解しかねた。いや今でも理解できてないけど。しかしおぼろげながらわかってきた(と思ってる)。


既に書いたが、ここでいう「革命」とは、中世的な商人の自治を廃して、大名が商人の自治を解体して直接「保護」する代わりに隷属させるということ。革命ではないというのは、楽市・楽座令が目指したものは中世的な商人の自治を「保護」するということ。「保護」といっても意味が違う。そして「復興」というのは、戦争で荒廃したものを「元に戻す」ということ。


そういうことなら確かに「革命」ではない。


ただ、本当にそういう意味なのかというのは疑問が残る。なぜなら後の方で、加納市場に出された二枚の楽市楽座令の後の方について

戦後復興という目的から一歩進み、市場の経済発展にシフトしたためのものだろう。

とあり、また安土の楽市楽座令について

都市振興策と評価できるだろう。

と書いてあり、それは「復興・保護」なのかという疑問がでてくる。市場振興は「革命」ではないのか?というところがちょっと俺の中で消化しきれていない。おそらくは市場振興といってもそれはあくまで中世的な枠内での市場振興なのであって、社会を変えることを意図したものでもなければ、社会を変える効果をもたらしたものでもないという意味であろうか?


というわけで完全に理解できたわけではないんだけれど、まあそれなりに理解できたんじゃなかろうかと思う。


で、この「最新の研究」の成果は果たして妥当なのだろうか?


次からは俺の気になったことを書いてみる。