楽市楽座とは何だったのか?(その6)

「信長が楽市楽座令を出したのは岐阜の城下町ではない」何で俺はそのことを知らなかったのか。


信長関係の本を読み返してみると確かに「加納」と書いてあるものもある。だが楽市楽座に特に関心があるでもなかったからそんなのは読み飛ばしていた。そもそも「加納」と書いてあってもピンとこない。地名だとはわかるがそれ以上はわからない。信長美濃攻略の後のことだから岐阜にあるんだろうとしか思わなかった。地元の人ならわかるかもしれないが、あるいは江戸時代に詳しい人なら「加納藩」を知っているかもしれないが、そうでもなく特に関心もないから「加納」について調べようとは思わなかった。


だが、俺の場合は実のところ、つい先日知ったことを以前も知っていた。知っていたけど忘れてた。より正確に言うなら楽市楽座について考えようと思ったときに、その記憶を俺の脳内辞書から引き出すことができなかった。


俺は岐阜に行ったことがある。事前にガイドブックとか見たわけではなく行き当たりばったりの旅だったのだが、名鉄岐阜駅から岐阜公園金華山山麓)に歩いて行くと途中に織田信長公ゆかり」というでかい看板が見えてくる。


このでかい看板があるのが「円徳寺」で、永禄10(1567)年および永禄11年の楽市令の制札を所蔵している寺である。


もちろん信長ゆかりということなので見学した。ただし見学できるのは「織田塚」と呼ばれるものと梵鐘。楽市楽座に関しての説明は読んだかもしれない。だから、その時に「知った」と思う。でもすっかり忘れてしまっていた。
円徳寺|岐阜観光コンベンション協会


※ なおこの寺の住職が今年、準強制わいせつの疑いで逮捕されたという
信長ゆかりの寺の住職、10代女性に準強制わいせつ容疑:朝日新聞デジタル
この記事も見た覚えがある。でもそれがあの寺だったとは脳内で記憶と記憶がつながらなかった。


もう一つは「御園の榎」。楽市場の目印とされている(ただし異論あり)。
岐阜観光コンベンション協会|織田信長と岐阜 10.信長の楽市楽座令
地図見て思い出したのだが、確かにこのあたりを散歩した。この榎も見たような記憶がある。でも忘れてしまっていた。


というわけで「知っていたけれど知らなかった」。なぜなら信長は岐阜城下町に楽市楽座令を出したという思い込みが強かったから。まあその「岐阜城下町」というのもどこからどこまでがそうなのかなんて気にもせずに、だいたいこのあたりだろうって感じだったわけだが。


でも、今はそうではない。楽市楽座令とは何だったのかを考えるには、円徳寺について知らなければならない。


(つづく)