鎖国はなかった?

江戸幕府が「鎖国」していたという大きなウソ | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン
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richard_raw 私30代ですが、当時からこういう記述があったような……。

とあるように、長崎の出島で交易を行っていたことなんて、最新の研究でもなんでもなく常識の範疇だろう。30代、40代どころかもっと上の人だって知っている。むしろそれを知らない世代というのがいるのだろうかって話。普通に学校で習うし「暴れん坊将軍」みたいな時代劇にだって出てくる。幕府が情報と貿易を独占していたというような話はそれよりかは一般的ではない(「鎖国」とは何かについてのより詳しい話だから)かもしれないけれども、それでも多くの人が知っていることで、ちっとも目新しいことではない。


ちなみにウィキペディアを見ると

近年の研究

近年、従来の「鎖国」概念を廃し、一連の政策は徳川幕府が中世の対外関係秩序を再編したものとする考え方が提唱された[参考 29]。さらに最近の研究動向では、〈鎖されていなかった徳川日本を「鎖国」と呼んできた歴史〉を歴史化し、それを〈日本人〉のアイデンティティと密接に関係する言説と捉え、その形成史を解明した研究が登場した[参考 30]。また、その意味合いにおいて、「鎖国」のみならず「開国」をも言説と捉え、その形成史を追究する試みも展開されている[参考 31]。

なお海外との交流・貿易を制限する政策は徳川日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られた。現代の歴史学においては、「鎖国」ではなく、東北アジア史を視野に入れてこの「海禁」という用語を使う傾向がみられる。その理由としては、1)「鎖す」という語感が強すぎる、2)対欧米諸国の視点に基づきすぎている、3)否定的なイメージがある、があげられている。しかし、「海禁」自体の研究が十分ではないとの指摘もあり[参考 32]、安易に従来の用語を変える動きに対する批判もある[参考 33]。

とある。上の東洋経済の記事で説明されているようなことをもって「鎖国」ではないと言っているわけではない。要するに「鎖国」とはそれらを踏まえた上で「鎖国」と呼んでるわけで、知らなかったから「鎖国」と呼んでだわけではなく、知ってはいたけれどもそれを「鎖国」と呼んだのは「〈日本人〉のアイデンティティと密接に関係する言説」だったということ。閉ざされていなかったと言っても一般人が外国人に自由に接することができなかったことには違いないんだから、それを何と呼ぶべきかという、歴史的事実の問題というより呼称の問題でしょう。


なお、網野善彦氏の本だったか何だったか記憶が曖昧だけれども、「鎖国」時代において、実は漁民が「海上で」異国船に食料などを提供する見返りに異国船に積まれた品物を受け取っていた(つまり交換貿易)というような話を読んだ記憶がある。そういう話なら「鎖国」問題に一石を投じることになると思うけど、そういうことは触れられていない。