貧困率の件(その4)

貧困率の統計については、いわゆるウヨはインチキだとか何だとか批判する。逆にいわゆるサヨは肯定する傾向がある。まあそうなるのはわかりきったことだ。でも考えれば考えるほど、この貧困率というのは取り扱いに注意しなければならないもののように思える。「それはお前が自称保守だからだろう」と言われるかもしれないが、左翼・リベラルの立場(古い話だけど赤木智弘氏的な立場だったらなおさら)で考えてもそう思える。


貧困層を統計より少ないことにしたいんだろ」と思われては何なので、日本の6世帯に1世帯は貧困層という数字は変えない。当然、相対的貧困も貧困だという前提で考える。それでも、実態として、一般的にあの世帯は相対的に貧困だと感じられる世帯と、統計で相対的貧困世帯とされる世帯には相当なズレが生じているはずだ。何といっても所得で判断しているのが問題だ。賃貸か自宅かで生活の質はかなり違う。さらに家族構成も考慮されていない。学費のかかる(特に高校・大学・専門学校等)子がいる家庭と、子がいない家庭の生活の質もかなり違う。


貧困層に含まれない中央値の世帯でも、あるいはそれ以上の所得がある世帯でもギリギリの生活をしている人はいるはずだ。もし貧困率の統計を元に貧困を減らす施策が取られた場合、彼らに恩恵はなく、実は豊かな「貧困層」が恩恵を受けて格差がさらに広がることになりかねない。しかも経済上だけではなく、精神上でも統計上の貧困層に含まれないということで「生活が苦しい」といっても「わがまま言うな」とか白い目で見られて追い詰められる可能性もある。


左翼・リベラルにおかれましては、「統計上では含まれないが彼らも貧困層であり『真の貧困率』はもっと高い。彼らにも分配を」と主張すればいいのかもしれないけれど、現実的には「財源はどうする?」という反論が当然のように出てくる。これもまた「そんなこと言うやつは格差容認主義者だ、ネオリベだ」と批判してればいいのかもしれないけれど、必要な予算が増えれば増えるほど実現性が低くなることは疑いの余地はない。理念を声高に叫んでいるだけでは弱者は救われない。


貧困率の統計を全否定すべきとは思わないが、真の弱者(この場合は相対的貧困層的な人を含む)を理念だけでなく、救うための現実的で効率的な方法を考えるための指標は別のものを使用すべきではなかろうか?