女系天皇問題(その2)

前の記事では保守の視点から考えてみたけど、別の視点でも考えてみる。

現在の天皇制度は復古調の天皇制度と言ってよいと思う。

どういうことかといえば、たとえば「天皇号」は江戸時代の第119代光格天皇(1771-1840)により復活した。

天保12年1月27日(1841年2月18日)、第58代光孝天皇以来1000年近く絶えていた漢風諡号選定(但し、崇徳・安徳・順徳の各天皇を除く)及び第62代村上天皇以来900年近く絶えていた天皇号(但し、安徳・後醍醐両天皇を除く)を復活させ、「光格天皇」と諡された。それまでは「追号+院」という形であった。以後、仁孝天皇孝明天皇の2代 にも諡号が用いられた。

光格天皇 - Wikipedia


江戸時代の国学の隆盛は尊王思想に発展し、その歴史観では、武家が政治の実権を握ったことはもちろん、藤原氏による政治も批判された。仏教も批判され、日本に仏教を広めることに功績のあった聖徳太子の評判もよろしくなかった。


明治天皇以降の天皇が洋装をするのも復古思想と関係がある。というのも、それまで着ていた服装は日本古来のものではなく中国から伝来したもので、日本古来の服装とは日本神話に出てくるような服装のことである。よって外国伝来の服という意味ではどちらも同じ。むしろ洋装のほうが日本古来の服装に似てる…みたいな論理ではなかったかと記憶してる。


あるいは上皇太上天皇)というのも、持統天皇文武天皇に譲位し、史上初の太上天皇上皇)になって以来、59人(歴代天皇の半数近く)が上皇になったが、明治以降の皇室典範に於いては、天皇の生前譲位制は排されている。
太上天皇 - Wikipedia
その理由は院政による政治の混乱の懸念ということもあるだろうけど、太古の天皇に生前譲位はないというのもあるのではないか?


要するに現在の天皇制度は、太古の天皇の時代を模範に作られており、中世(さらに言えば時代区分では古代に入る時代も)はあまり重視されていないと思う。


であるなら、長い天皇の歴史といえども、中世の男系相続は国学的に見て、果たして日本古来のものだろうか?という考え方もあるのではないだろうか?


もちろん太古の天皇も男系ではある。しかし、それはそこまで重視すべきものだったのだろうかという考えもそこから生まれてくるのではないだろうか?