貧困を廻る貧困な言説(1)

「貧困女子高生」問題に関する私見(みわよしこ) - 個人 - Yahoo!ニュース

絶対的貧困状態にはないが、相対的貧困状態にある」が正解でしょう。

話題になった女子高校生のケースでは、主に問題になっているのは

「食うか食えないかという貧困ではないけれども、友人づきあいで『同じことを同じ回数は無理』が数多くあり、進路選択など多くの費用が必要な場面では、家庭の経済状況による制約が、どうしようもなく加えられる」

という相対的貧困です。

いや、そうじゃないから炎上してるんでしょう。なぜ事実を捻じ曲げるのだろうか?本当に知らないのか?彼女は相当な額の消費をしている。それで進学費が賄えるのではないか?と言われてるわけですよ。もちろん、そのことを理解した上で「貧困叩き批判」をしている人も多くいる。「貧困だからといって贅沢してはいけないのか?」「贅沢を少しもしない貧乏人らしくしなければ費用が無くて進学できないと訴えてはいけないのか?」と。しかし、この人は何もわかっていないと言えるでしょう。

「食うや食わずや」、生死が問題になるような「絶対的貧困(1人1日1.9ドル以下での生活(2015年、世界銀行による)」ではありません。

「貧困ではない」の証拠とされた「友人たちとのランチ」「チケットのコンサート」「高価なペン(のセット)」といったものがスポット的に存在することが、まだ彼女の状況を相対的貧困の範囲に押しあげています。それも不可能な状況になったら、バッシングした人々も、彼女を「貧困」と認めるのでしょう。でもそれは、絶対的貧困に極めて近い相対的貧困の姿です。

それでコンサートに行けなくなったら何でいきなり「絶対的貧困に極めて近い相対的貧困の姿」になるんだろうか?1人1日1.9ドル以下での生活に極めて近いのはホームレスレベルでしょう。一体何を言ってるんだ?

まあ、所得を持ちださなくても、充分に大変だろうとは想像つきます。母親は稼ぎ手であり、子どものケアをする親であり(高校生の子どものケアは、それほど必要ではないかもしれませんが)、いつも「なぜ、もっと稼げないのか」「なぜ、もっと子どもに目や手をかけてやれないのか」と言われる可能性のある立場にあります。そういった母親の状況は、子どもにとっても負担になるでしょう。もしも子どもに何か問題があれば、母親をめがけて突き刺される「自己責任!」の矢の数々……ああ、うんざり。

そんな批判は俺が見た限りではなかった。そりゃ広大なネット空間にはあるのかもしれないけれど…


批判に対して反論したい気持ちはわかる。しかしこんな反論は無茶苦茶でしょう。


それにしても、

絶対的貧困状態にはないが、相対的貧困状態にある」が正解でしょう。

と、なぜ言えるのか?全く根拠が示されていない。「相対的貧困」は「絶対的貧困」とは違うんだ。だから女子高生は「相対的貧困」なんだと言ってるだけのように見える。しかし相対的貧困以上の所得があっても進学する費用が払えない人だっているはずだ。なんの根拠にもなっていないのだ。相対的貧困の基準はあくまで所得であって、進学する費用があるか無いかではないのだ。