貧困を廻る貧困な言説(2)

NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した

では、なぜ相対的貧困の子どもたちは「可視化」されにくいのか。

「親が貧困であることを周りに隠してしまう。無理をしてでも、子どもにはいい服を着せようとか、おいしいご飯を食べさせようとか。今回の女子高生のケースでも、本人には、できる限り周囲と見劣りしない生活をさせて、母親が我慢しているということだってありうる」

見劣りしないどころか、高校生の平均的な小遣いを遥かに上回る消費をしている。貧困率の基準で、母親が我慢したら可能なのだろうか?


この記事に限らないが、決定的に欠けているのは具体的な数値である。子ども1人の1人親家庭で月に14万円代。そこから家賃・食費・水道光熱費・通信費その他雑費を引いて、どれだけ残るのかということだ。


もちろん正確な数字は本人に聞かなければわからない。ジャーナリストなら本人に取材して確かめてみるのも一つの手だが、そこまでしなくても概算数値は出せるでしょう。幅を持たせて、ここをこうすればこれだけの余剰が出るといったことはできるでしょう。


それが納得のいくものだったら(もちろん余剰が出たならそれを進学費用の積立に使うべきだという意見がそれで消えることはないだろうけれど)ある程度の理解は得られるでしょう。


この手の記事は「一般論」ばかりを論じている。しかし、騒ぎの原因になっているのはそういうことではないのだ、と俺は思いますけどね。