「家康嫌い」の歴史が予想の遥か上だった

数日前から「徳川家康はなぜ嫌われるのか?」ということを考えている。


俺の当初の予想では、それは明治以降のことで、それも維新政府の都合によって貶められたといった陰謀論的なものではなくて、民間によって形成されたものだろう。さらに本格的に嫌われだしたのは、そんなに昔のことではなくて戦後のことであり、しかも現在がそのピークではないかとさえ思っていた。いや今でもまだそう思っている。


ただ、その根底にあるものが、いつ形成されたかというと、どうも江戸時代中期にはあったようだ。もちろん江戸時代にも反徳川家康はあったに違いないとは思っていた。しかしあったとしても散発的なもので、現在にまで繋がってるとは思いもしなかった。「言論の自由」なんて観念のない時代に、家康を祖とする将軍家が支配する世界で反家康という思想が拡がりを持っていたとは思いもしなかった。幕府批判ならありえるだろうし、幕末には討幕思想まで登場するが、それでも始祖の家康を批判するというのは、その必要もないだろうと思っていた。


だけど、そうではなかった。どうやら「家康嫌い」の基本は江戸時代中期にそのほとんどが形成され、それが現在まで引き継がれたもののようだ。こんなことは全く予想してなかった。


さて、史実の徳川家康を研究することと、江戸時代以降の「家康嫌い」を研究することとは全く別の課題ではある。しかしながらこれほど古い時代から「家康嫌い」の思想があり、しかもそのことはあまり認識されていないだろうことを考えると、史実の家康研究にも知らず知らずのうちに「家康嫌い」は影響を与えている可能性が高いのではないか?というかおそらく与えている。だとすれば史実の家康研究をするにも「家康嫌いの歴史」の研究は欠かせないのではないか?


しかし、とあるキーワードを検索した結果では、あまりそのことについて意識されていないようだ。ただし最近出版された本に(「家康嫌い」としてではないが)取り上げられているみたいなので注目される兆しはあるようではある。


この分野はおそらく未開拓であり、俺もつい先日から調べ始めたばかりで、史料もあるけど崩し字俺には読めないので早くも壁にぶち当たってるんだが、できる限りのことはやろうと思ってる。