⇒昔の海女さんは殆ど素っ裸だった。 - Togetterまとめ
白い帷子で全身を覆い、水中眼鏡などを付けるようになったのはそうした海女自身以外からの「恥ずかしい格好を世界に晒すな!」という批判に沿う形での変化だったらすい。
— 加藤AZUKI【人体模型に近づくな!】 (@azukiglg) 2016年9月7日
いやまあ昔はもしかしたらそうだったかもしれないけれど、じゃあそうした世論が無ければ、現在でも昔のままの恰好だったかというと、そんなことはないでしょう。俺が子供の頃は普通に母親が公共の場所で授乳のために胸を出してたけど今は見ないし。
俺が昔どっかで目にした話は、戦後に海女さんの裸目当てで土地に関係無い人達が見学したり写真撮ったりするようになって、あるいはエロティックな映画が流行して、海女がそういう目で見られたことが原因だったはず。
⇒海女映画 - Togetterまとめ
⇒歪曲された海女のイメージ - Tomotubby’s Travel Blog
いずれにしろ今時、あの恰好のままだったら成り手がほとんどいないだろう。
海女キャラ「碧志摩メグ」に批判が出たのも、年配の人にはそういう記憶があるからではないか?ということをそん時に書こうと思ってたんだけれど書きそびれていた。若い人は知らないかもしれないけれど、中年以上なら「海女」にエロのイメージがあったことを覚えているはず。
※ なおこれはいつだったか忘れた(10年前以内だと思う)けれどNHK(NHKアーカイブス?)で作家(川端康成?)が海女好きで海女と一緒に番組に出てるのやってた。おそらく未成年の海女が上半身裸で出てた。
※ しかし、あれですね。こういう問題を考える場合には「歴史的背景」というものが重要になりますね。「保守」は歴史・伝統を重視するから当然そのことを考えなければならない。「左翼」もこういう問題を考えるときには(理性の範囲で)「歴史的背景」を重視する。「ある種の自由主義者」はそういうことを考えない。彼らは外部から直接的な圧力・規制があったときだけ「自由への侵害」と考える。前々から思ってことだけど。