メッケルが関ヶ原は西軍の勝ちと言ったというのはガセという話について

メッケルが関ヶ原の布陣図を見て「西軍の勝ち」といったのはほぼ司馬遼太郎の創作って話と当時の混乱した状況 - Togetter

うへー、ドイツの参謀メッケルが、関ヶ原の布陣図を見て「西軍の勝ち」といった話って、ほぼ司馬遼太郎の創作と判断していいのか!恐ろしいな司馬さんは(;´Д`)
1059kanri 2013-02-28 19:05:34


「メッケル 関ヶ原」で検索するとすぐに見つかるのが次の記事。
石田三成と関ヶ原の戦い 海音寺潮五郎応援サイト 〜 塵壺(ちりつぼ) 〜/ウェブリブログ

以前、角川文庫から出版されていた『日本史探訪』の中で、司馬遼太郎さんはメッケルの逸話を次のように述べています。

メッケルという人は、当時世界的な戦術家だったモルトケの愛弟子ですが、その頃の陸軍大学はドイツ風で、参謀旅行というのがありましてね、参謀をつれて現地に行って、地図によって架空の作戦を立てて訓練をしたものなんです。メッケルは関ヶ原に来て、合戦を彼自身がやったんですね。その時メッケルは、まずこの配置図を見まして、石田方の勝ちと言っちゃうんです。
 石田方の勝ちというのは、これは歴史と違うんで、学生たちがメッケル先生に、家康が勝ったんですがと言っても、いや、そんなことはない、そんな馬鹿なことはない、石田方の勝ちだと、何度も言うんです。


これを見れば司馬遼太郎がこれを事実と考えていると思われる。もし自分で創作しておいて、こんなことを言っているのだとしたら司馬氏は相当な嘘つきということになる。その可能性が絶対にないとはいえないけれど、最も可能性が高いのは、(これが史実かどうかはともかく)司馬氏は何らかの情報を元にして小説にこのエピソードを書いたということだろう。


その情報源の一つと考えられるのはこの記事で紹介されている海音寺潮五郎は『武将列伝 戦国終末篇』ではなかろうか?

 関ヶ原の戦いは負けるべくして負けた戦争だ。明治年代にドイツの有名な戦術家が日本に来て、関ヶ原に遊び、案内の日本陸軍から、両軍各隊の配置・兵数を聞いて、
「これでどうして西軍が負けたのだろう。負けるはずはないのだが」
と不審がったところ、参謀が戦い半ばに小早川秀秋が裏切りしたことを告げると、手を打って、
「そうだろう、そうだろう」と言ったという話がある。ぼくはこのドイツの戦術家の説を信じない。兵数と陣形だけで数学的にことを考える参謀的迷妄だと思っている。小早川秀秋の裏切りが決定打になっていることは事実だが、敗因は他に無数にある。それは既に述べた。そしてその根本は、重ねていう、三成の不人気にあり、それは三成の陰険な性格と人心洞察力の鈍さの当然の帰結であると。


『武将列伝』はウィキペディアによると1959−63の刊行とある。
海音寺潮五郎 - Wikipedia


司馬氏がこれをどこに書いたのか覚えていないが、『坂の上の雲』は1968年から1972年に産経新聞に連載されたものだ。『関ヶ原』は1964年から1966年。
坂の上の雲 - Wikipedia
関ヶ原 (小説) - Wikipedia


では、海音寺潮五郎が創作したのか?という話だが、これもそう断言できることではないだろう。


可能性としては「ドイツの有名な戦術家」が実は「メッケル」ではないのだが、司馬がメッケルと誤解したということがあるかもしれない。とすれば、メッケル関連の書籍を探しても見つけることはできないだろう(メッケルの可能性ももちろんある)


小説に情報源が書いてないというのは当たり前であるからして、それを批判することはできない。あくまで小説だから史実かもしれないし、創作かもしれないし、都市伝説の類かもしれないし、誤解によるものであるかもしれない。鵜呑みにしてはいけないのは当然である。


何を根拠としたものかがわからない時は信用しないのが懸命だ。気になる時は自分で調べるしかない。だが逆にそれを創作だとか嘘だと根拠がわからないことだけを理由に決め付けることもできない。


さて、このように歴史研究においては元資料というものが何といっても重要になるのである。そういう意味でいえば、このTogetterまとめ自体が何を根拠にそういうことを言っているのか不明だという点で非常に頼りないものだ。下の方に「2011年刊行の歴史群像関ヶ原特集でも指摘されていた」とあるので、何とか手がかりがわかるというものだ。できれば誰が執筆したものかも書いてほしいところだ。


ネットで歴史関係の情報を探しているときに一番気になるのは、歴史好きの人が書いているであろう記事なのにソースが提供されていないことが多々あることだ。凄く興味深い記事なのに、それが何という史料によるものなのか、また誰の書いた書籍に書いてあるのかがさっぱりわからず、そのせいで興味があってもそれから先に進めないということがよくあるのだ。