⇒お龍さんはスッポンポンじゃなかった
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今日、ふとしたことであの元ネタは、龍馬本人が姉に書いた手紙だったのを知った。
なんと、「お龍さんスッポンポン」は司馬遼太郎の創作だった!
風呂あがりだったのは龍馬の方で、
お龍さんは台所から駆け上がってきたと書いてある!
くっそー!司馬ジジィ!死ね!あの世でもう一回死ね!
どうも世の中には「よく知られている話がどうやら事実ではないようだ」+「司馬遼太郎が書いている」=「司馬遼太郎が創作した」という数式があるようだ。
でも少し頭を働かせればこの数式に欠陥があることはわかるはずだ。
寺田屋事件のときに楢崎龍が風呂に入っていたというのは、俺の記憶によれば、お龍さん本人が明治になって証言したことではなかったかと思う。手元に文献があるわけではないので確実だとはいえないけれど、ネット検索すると『わが夫 坂本龍馬 おりょう聞書き (朝日新書)』にそれらしきことが書いてあるっぽい。
- 作者: 一坂太郎
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2009/11/13
- メディア: 新書
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龍馬の手紙とは話が違うし、どっちが正しいのかといえば、龍馬の手紙の方が正しいのかもしれない(確実にそういえるのかはわからない)けれども「事実ではない=司馬遼太郎の創作」とはならないでしょう。
(なお、俺がなぜそのことを知っているのかといえば、数十年前のことなんで本当に自信はないけれど司馬本人がそんなことを書いていたような記憶がある)
※近代デジタルライブラリー『少年坂本竜馬の生涯』神谷敏夫 昭和6)
丁度、龍子は風呂場にゐました。お女将の出ていつた様子と、表の怪しい物音にはつとしました。
多くの人の足音だ! 確に一人や二人の人数ではない、―彼女は賢い女でありましたから、早速二階へ浴衣がけでとび上りました。
「坂本様・・どうやらお役人です」
※近代デジタルライブラリー『坂本竜馬言行録』渡辺修二郎 編 大正2)
此時の事に関しては同郷人某の一話あり、曰く「伏見の寺田屋で幕府の捕手に襲はれた時に龍馬は薩藩(長藩の誤)の三好と一緒に二階に一杯飲んで居ると、下女が裸で駈込んで幕府の者が家を取巻たと云ので、龍馬は高杉晋作から贈られたピストルで、三好は刀で之れと闘つたが、
「同郷人某」の証言もあるそうだ。
※近代デジタルライブラリー『坂本竜馬言行録』川又慶二 大正6)
丁度その時、龍子といふ女が湯殿に浴してゐたが、窓外の常ならぬ足音に気がついて、咄嗟に浴衣を引つ掛けた儘二階に駈け上り、龍馬と三吉に急を告げた。
※近代デジタルライブラリー『雋傑坂本竜馬』坂本中岡銅像建設会 編 昭和2)
寺田屋に預けられた龍子、性慧敏、適て浴室に在り、俄かに足音の異なるを察し浴衣の儘、楼階を登り表を見れば捕吏屋外に在るを認め、急を龍馬及三吉に告げた、
まあ「史実と違う=誰々が都合良く(又はおもしろおかしく)改竄した」という陰謀論は歴史学者も多用しており、それがろくに批判されることもなく通用している現状があるんで、ましてや歴史学者でない人がそういう短絡的な考えに陥るのは憂えても仕方のないことなのかもしれない…