「恣意的」と「意図的」

恣意的の誤用
「恣意的」誤用扱いに国語辞典編さん者が反論 「俗説でことばが殺されないよう、どうか守って」 - ねとらぼ

大きな話題になっているけれど、これはかねがね俺が思っていることと大いに関係があるように思われる。

解釈が記事によって少し揺れていますが

分かりやすく2点書き出すとすると

・「恣意的」と「意図的」はまったく意味の違う言葉

・「恣意的」には"ランダム性"や"偶然に"、"その場限り"といった意味が含まれる

ということらしいです

つまり「意図的」という言葉に置き換えてもニュアンスこそ違えど意味が十分に伝わる文章や、"偶然に"といった意味が含意されていない文章は誤用ということですね

これをさらに要約すれば、「意図的か」あるいは「偶然・ランダムか」ということになる。すなわち「偶然・ランダムでないものは意図的なものである」という関係になる。


しかし、現実はその二つしかないのではない。


「本人は必ずしも意識していないけれども他者から見ればその人物の志向に左右されている」というものがある。


たとえばある人物が行ったある行為に対しては厳しく批判し、それと全く同じ行為を行った別の人物に対しては批判しない、あるいは逆に称賛するといった行為を、本人が無自覚にやっているケース。無自覚にやっているのだから「意図的」ではない。だからといってそれは偶然でもランダムでもなく、悪い評価をする対象と良い評価をする対象が入れ替わることはなく固定されている。そういう事例は世の中にありふれている。


「意図的」か否かはその人の脳内のことだから究極的には本人にしかわからない。しかし他人から見て(意図的か否かはわからないが)有意な傾向があるように見えるものはある。そういうものを「恣意的」と表現することは誤用か?

[形動]気ままで自分勝手なさま。論理的な必然性がなく、思うままにふるまうさま。「恣意的な判断」「規則を恣意的に運用する」
デジタル大辞泉

( 形動 )
その時々の思いつきで物事を判断するさま。 「 −な解釈」
大辞林 第三版)

恣意的(シイテキ)とは - コトバンク
辞書を見る限りでは誤用ではないように思う。要するに原理原則が無く首尾一貫していなければ「恣意的」ということだろう。原理原則がないとはいっても、その判断をしたのには心の奥底にある何かが作用しているのであって、サイコロを振ったのとは違う


はてな匿名ダイアリー」は「誤用」の例を出しているけれども、それはその使用例の「恣意的」を「意図的」の意味で使っていると理解して「誤用」と言っているのである。

▼「哲學研究入門」小石川書房 - 1949(昭和24)年9月30日発行

併しこういう歴史的現實の把握は全く恣意的な直觀に訴えるわけにはいかないから、そこに類型的了解ということが必要になって來る

京大名誉教授、矢田部達郎先生が1949年に上梓した本の一節です、旧字体でカッコつけてる割には普通に誤用してますね

場当たり的な直感っておかしいですし、明らかに「作為的な」という意味で使っています、先生どんまい

などと書いているが、「直観に訴える」のが「恣意的」の正しい意味であって、それを「作為的な」という意味で使っているとするのが誤解釈であろう


要するにこの「恣意的」の意味の混乱は「偶然・ランダム」でなければ「意図的」なのだという、世の中にはその二つしかないいう考えから生じたものであろう。


で、最初に書いたように、これは俺がかねてより常々思っていることと関係すると思われるのだ。


それは歴史史料において、史実とは異なることが書かれている場合や、ある歴史上の人物の評価で現在の歴史研究から得られる人物像と異なることが史料に書かれている場合などに、「○○を正当化するため」「○○を貶めるため」といった、すなわち「意図的な改竄」と決めつけることが在野の研究者だけでなく専門家の間でも安易になされていることと、こういう考えとは大いに関係があるのではないかということである。