報恩寺のマルコ・ポーロ像(その2)

つづき。

報恩寺のマルコ・ポーロ像に関する貴重な情報とは、昭和22(1947)年発行の『日本民族文化史考』という本のこと。著者は白柳秀湖

白柳 秀湖(しらやなぎ しゅうこ、1884年1月7日 - 1950年11月9日)は、日本の小説家、社会評論家、歴史家。
白柳秀湖 - Wikipedia

国立国会図書館デジタルコレクション」で見れる。


昨日はいろんなことをグーグルで検索しまくっていた。そしたらなぜか全く関係のないこれがヒットした。なぜヒットしたのかいくら考えてもわからない。あまりにも関係ないので逆に気になってクリックした。それがこの本の「コマ番号11」(P18-19)で

日本に流れ込んでゐたヂプシイがどんな生活様式を営みつヽ、諸国を漂白してゐたかは、

などと、ぶっ飛んだことが書いてある。「ヂプシイ」とはジプシーのことで、最初は漂白民のことをそう表現してるだけかもと思ったら、正真正銘ジプシーのことだった。


この手の話が大好物の俺としては「なんだかワクワクしてきたぞ」というわけで、これは是非読んでみなければと思ったけれど、あいにくそんな時間も無いことから、とりあえず目次を見たら「五百羅漢とマルコ・ポーロの像」という、長年気にはしていたけれど、情報があまりにも無くてお手上げ状態だった件が見出しにあった。


これだけは読まなければ!ということで読んで見れば、俺が今まで知らなかった情報がいっぱいあったのだった。


それをこれから紹介。


(つづく)