報恩寺のマルコ・ポーロ像(その1)

盛岡市にある報恩寺の五百羅漢の中にマルコ・ポーロフビライの像があるというのは、有名というわけではないかもしれないけど、この手の話が好きな人の中では知られた話。
報恩寺 (盛岡市) - Wikipedia
ムー - 岩手県・報恩寺のマルコ・ポーロ像... | Facebook


前々から気になってはいたのだが、何しろ情報が少ない。昨日別件を調べてたらなぜかこの話がヒットして貴重な情報を得ることができた。


その前に、この件を前々から気になっていたということについて。
『東日流外三郡誌』所蔵者・和田喜八郎氏宅査察
この2チャンネルのスレッド(2003年)で、原田実氏と会話してるReallyという人物は何を隠そう俺である。

382 :Really:03/07/01 23:22
盛岡の報恩寺の五百羅漢にマルコポーロフビライがあるというんだけど、
本当のところどうなんですか?

385 :原田 実:03/07/02 18:28
>>382
Really様、別の掲示板でなかなかお返事さしあげませんで、
失礼しました。報恩寺の五百羅漢は明代中国の寺院の様式をまねて作ったものです。
明代の泉州はインドやアラビア、インドネシアなどからの船も入る国際貿易港で、
仏教寺院でも異国の風俗を美術に取り入れる傾向があり、そこで確立した様式は日本でも
京都五山などに伝わっていました。報恩寺の五百羅漢は
京都から招いた仏師が作ったものですから、異国風の像があること自体はおかしくありませんし、
同じ像が京都にあっても騒がれなかったでしょう(その意味では一部マスコミがこの像の存在について騒ぎたてるのは、
地方蔑視の一変種かも知れません)。フビライマルコ・ポーロにこじつけたのは、
妖怪図鑑でおなじみ故・佐藤有文氏のようです。六郡誌大要にも、フビライマルコポーロが東北に来て云々という記述が
ありますが、これは『歴史読本』に掲載された佐藤氏のレポートを和田氏が元ネタに用いたために生じた、と
推察されます。

86 :Really :03/07/02 21:18
原田さん。早速のレスありがとうございます。
365も自分だったりするので全然気にしていません。
で。五百羅漢なんですがフビライにこじつけたのは最近のことということですね。
下記のサイトによると、
http://www2u.biglobe.ne.jp/~taka-34/500Rakan.htm
まず中国でそのような説が出来たように書かれていますが、
これも誰かの創作でしょうか?

387 :原田 実:03/07/02 22:56
>>386
面白いサイトご教示下さりありがとうございます。
これによると、京都の仏師を招いて作ったという
先の私の記述は正確ではなく、
羅漢像そのものを京都で作って盛岡に運んだようですね。陳謝いたします。
また、中国にも五百羅漢の中にフビライマルコ・ポーロがいるという説が
19世紀半ばからあるとのことですが、これが本当だとしても
その年代的には、古くからの伝説というよりも
近代になってからの新説ですね。
この説が中国に本当にあるのか、出典はなにか、本当だとして
日本に移入したのは誰でいつごろの時期か、また調べてみたいと思います。
ただ、盛岡の五百羅漢に限って言えば、その説を広める上で佐藤有文氏が大きな役割を
果たした、ということは否定できないはずです。

ここにある「面白いサイト」というのは今はもう見れなくなってて、保存もしてないので、記憶に頼れば、中国でも五百羅漢の中の〇〇と〇〇(名前があったはず)は、マルコ・ポーロフビライだとされているという話だったように思う。


それが事実ならば、これはキリストの墓等の東北で良く見かけるトンデモ案件ではなくて、中国にあった様式をそのまま持ち込んだだけという可能性がある。もちろん中国のそれが本当にマルコ・ポーロの像なのかという問題はあるが、そういう説があるのを持ち込んだというのならそれはトンデモ案件ではない。たとえば龍や麒麟は実在しないが、だからといって、それを日本に持ち込むのをトンデモとは普通呼ばないだろうというのと同じでしょう。

※ ただし、今読み返すと「19世紀半ばからあるとのこと」とある。だとすれば報恩寺の五百羅漢は18世紀に作られたので時系列で整合性がない。でもそんなこと書いてあったっけ?


しかし、何しろ情報が無い。そもそもこれがマルコ・ポーロだというのは、いつから言われだしたのかがわからない。わからないから、そう昔ではない時期にトンデモ・オカルト系の人が言い出したんだろうと、そう考えている人は少なからずいると思う。でもそれは推測にすぎない。いずれにしろ何の根拠もないのである。


で、それに関して最終解決には程遠いけれども、それなりに貴重な情報が見つかったのである。


(つづく)


※ なお『国史大辞典』という割と信用性の高い辞典の「報恩寺」の項に、この像が「マルコ・ポーロ」として写真付きで載っていたはず。これもただのトンデモとは一線を画すものではないかと俺が感じた理由。