報恩寺のマルコ・ポーロ像(その6)

日本民族文化史考』(白柳秀湖 1947)より

富山房の『国民百科大辞典』を見ると五百羅漢の條にマルコ・ポーロの加へられて居ることも記されては居るが、広東の羅漢堂が香港となつて居るのはどういふものか。或は香港にも羅漢堂があるかも知れぬが、どちらにしても筆者はまだ実地に臨んだことがないので強ちにはいへぬ。

富山房の『国民百科大辞典』にも五百羅漢の中にマルコ・ポーロの像があることが記されている。ただしそれは広東ではなく香港としてある。広東と書くべきところを間違って香港と誤記した可能性もあるが、広東とは別に香港にもあるのかもしれない。ということ。


国立国会図書館デジタルコレクションに富山房の『国民百科大辞典』は無いので、確認することができない。


ネットで検索してみたけれど、香港にマルコ・ポーロの像があることは、まだ発見できず。


しかし、マカオマルコ・ポーロとされる羅漢像があることがわかった。


普濟禪院という禅寺。
普濟禪院 - 维基百科,自由的百科全书
説明によれば、元朝時代に建てられ、現在の建物は1627年に建立とある。ただしこの説明には問題があるらしい(後で書く)。


五百羅漢ではなく十八羅漢。だから富山房の『国民百科大辞典』の言う「香港」の五百羅漢ではないと思われるが、それはとにかく、またまた新情報ゲットしたのであった。


画像はこの記事にある。
澳门人文社会科学研究文选·历史卷(含法制史)(上卷)

この「マルコ・ポーロ」像に関する説明はあまりないので詳細はよくわからない。ただ元朝時代に建てられたということと関係があるのだろうとは思われる。ところが、上の記事によれば、グーグル翻訳では良くわからないところがあるけれども、元朝建立というのは眉唾っぽい。けど自信なし。


C. A. Montalto de Jesus(1862-1927)という人の『Historic Macao』'1902)という著作があり、この像がマルコ・ポーロの像であることが記されているそうだ。

Historic Macao

Historic Macao

だから少なくとも1902年には、この説があったことになるけれど、それ以前のことはわからない。よって、広東の華林寺とマカオの普濟禪院のどっちが先に羅漢像をマルコ・ポーロとしたのかもわからない。そして普濟禪院の羅漢像がマルコ・ポーロ像とされたのが、報恩寺の羅漢像が作られるよりも前なのか後なのかもわからない。


ただ、中国において羅漢像をマルコ・ポーロの像とみなす例が複数あるということは、それなりに重要なことに思われる。


(つづく)