付喪神について(その11)

 こゝに康保の頃にや、件の煤払とて、洛中洛外の在家より取出して、捨てたる古具足ども、一所に寄り合ひて評定しけるは、「さても我等、多年家々の家具となりて、奉公の忠節を尽したるに、させる恩賞こそなからめ、剰へ路頭に捨て置きて、牛馬の蹄にかゝる事、恨みの中の恨みにあらずや、詮ずる所、如何にもして妖物となりて、各仇を報じ給へ。」と議定するところに、数珠の入道一連差出で申しけるは、「各斯様になる事も、皆因果にてこそ候らめ、たゞ仇をば恩にて報じ給へ。」と云ひければ、中にも手棒の箸太郎進み出でて、「推参なる入道が申す事かな、総じて人は生道者めきたるが見られぬぞ、まかり立ち候へ。」とて、左右なく、緒とゞめのふしの砕くるばかりぞあてたりける。一連手をすりて逃げけるが、あまりに強く打たれて息の緒の絶えけるを、弟子共やう/\にいたはり扶けてぞ立ちてける。かくて已むべきにあらずとて、各意見をうかゞふに、古文先生申しけるは、「それ造化のききは一気渾々として、かつて人類草木の形ある事なし。然れども陰陽の銅、天地の爐に従ひて、かりに万物を化成せり。我に若し天地陰陽の工にあはば、必ず無心を変じて精霊を得べし。昔、托礫物いひ虞氏名車となる、これ豈陰陽の変を受けて、動植の化を致すにあらずや、須く今度の節分を相待つべし、陰陽の両際反化して物より形を改むる時節なり、我等その時身を虚にして、造化の手に従はば妖物と成るべし。」と教へければ、各命をかうぷりける。紳のはたにしるしてぞかへりける。

付喪神
長々と引用したが、これは古道具達が「妖物」になる前の出来事である。「妖物」になったのは、ここにも書いてあるように節分の日(立春の前日)であり、歳末の大掃除で捨てられてから節分までの数日の間の出来事ということになる。冒頭には

 陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり。是れによりて世俗、毎年、立春に先立ちて、人家の古道具を払ひ出だして、路吹に棄つる事侍り、これを煤払と云ふ。

と「立春に先立ちて」とあるので、それ以前はただの古道具ということになるはず。立春を新年とする考えでは、この時点での古道具達の年齢は九十九歳だろう。ところが、節分で「妖物」になる前の捨てられた古道具達は既に会話をしている。会話どころか「手棒の箸太郎」は「数珠の入道一連」に暴力を振るってる。つまり「妖物」ではないが、ただの古道具でもない。


なお、この時点での会話では人間に対する恨みを吐露しているので、それは「心」があるということではないかと思うが「無心を変じて」と書いてあるので、まだ「心」の無い状態のはずだ。ただし「心」とは何かという問題があるので、一概に矛盾とは言えないのかもしれない。


このあたりをどう解釈すれば良いのだろうか?ちゃんと説明がつくものなのか?それとも単なる矛盾か?


で、これに関してもう一つの大きな謎は、「数珠の入道一連」とその弟子達は妖物になることに同意しなかったこと。自動的に妖物になるのではなく意志をもって妖物になるのだ(心が無いのに意志があるというのも謎だが)。ところが「数珠の入道一連」はそれを拒絶したのだがから文脈的にはただの数珠のままだということになろう。しかしそれでは「無心」のままだから「発心修行成仏」が出来ないのではないか?しかし「数珠の入道一連」は成仏している。


ここのところ解釈が難しいのだが、一応は、節分に心を得ることと妖物になることは別と解釈することは不可能ではないようにも思える。ただ本当にその解釈で良いのかといえば違うようにも思える。なかなかすっきりした答は得られない。そもそもそこのところは設定が雑だという可能性も高い。