Twitterに書いたことをまとめて一部加筆修正した
さてG座氏問題。ハラスメントはあってはならない。これは大前提。ただし俺にとってこの件は「著名人が起こしたハラスメント事件」の1つであって、G座氏に関してだけとりたてて何かを言う必要を感じない。それよりも(つづく)
— 国家鮟鱇 (@tonmanaangler) 2021年3月22日
さて呉座氏問題。ハラスメントはあってはならない。これは大前提。ただし俺にとってこの件は「著名人が起こしたハラスメント事件」の1つであって、呉座氏に関してだけとりたてて何かを言う必要を感じない。
それよりも俺が関心を持つのは「人格と業績は分けて考えるべき」問題。これは大雑把に言えばその通りだろう。ただし全く無関係かと言えばそんなことは無いとも思うけど。それに「人格と業績は分けて考えるべき」という場合、多くは業績については立派ということになるんだろうけれども、俺は研究者としての呉座氏の高評価について、ずっと前からそうだったけれども、疑問を持っていたのである。
かの評判の高い『陰謀の日本中世史』にしたって、俺はつっこみどころ満載じゃないかと思っているのである。しかも俺がそれなりにわかる信長時代前後についてだけでも。それはブログに書いてある。
その後の井沢元彦批判についても、(世間では)とても高評価だった。確かに井沢氏は批判されるべき対象ではあるけれど、呉座氏の批判が的を射たものだとは全く思えなかったのである。これもブログに書いてある。
アゴラの呉座氏の井沢元彦批判は適切か?(目次) - 国家鮟鱇
俺には呉座氏がなんでこんなに高評価なのか不思議でならないけれど、要するに「俗流トンデモ日本史研究をぶった切る正義の騎士」として光り輝く呉座氏がキラキラまぶしすぎて、輪郭だけしか見えてなかったのではないかと思う。よって輝きを失った呉座氏のありのままの姿を、今後は多くの人が見ることによって、呉座氏への「真っ当な評価」がなされるものと期待していた。そうなればせいぜい本郷和人氏と同列の扱いになるのではないかと。
けれど、ここまでくると、「呉座勇一の研究を再検討する」ということもなく、呉座氏そのものが「無かったもの」になる可能性も高いのではないかとも思う。