「ハイエナ」批判について

 とか言いつつまだこの話題。俺がどう考えているかについては昨日書きました。
 みずほ証券のミスにつけこんで、ジェイコム株を買い漁った証券会社への批判は、昨日のブログ界隈ではあまり見かけず、与謝野金融相の発言への批判が目立ったのですけど、今日は、金融相の発言を引用しての証券会社への批判もかなり目立ちます。もちろん金融相発言への批判も多いですけど。今日になって「ハイエナ」批判が増えてきたのは、どうしてかと考えるに、早い段階でこの問題に言及した人は、証券市場に関心が高い人で、今日になって言及している人は、新聞等の報道を見て言及している人、つまり普段あまり関心の無い人の割合が多く、温度差が生じているのではなかろうかなんて思うわけです。
 
 それはともかく、今度は「ハイエナ」批判に対する反論を別の角度から考えてみたいと思います。反論の主なものは、「これはビジネスである」「株式市場とはそういうものである」といった類のものであろうと思われます。まさにその通りなのですが、ただし、ここで言っておきたいのは、これは最近の情報技術の著しい発達によって、生じた事態でもあると言えるのではなかろうかということです。

 まだ記憶している人も多いでしょうが、ちょっと前までテレビで株式のニュースがあるときは、東京証券取引所の市場の様子が映像で流されていました。というか今でも流れていますけど、数年前までは、多くの人が何だか必死な形相で大声を出していたり、手で何だかよくわからないサインを出していたり、一箇所に人が殺到して大騒ぎしていたりする映像でありました。この人達のことを「場立ち」といいます。証券会社の支店から顧客の注文が来ると、それが本社に伝えられますが、それがさらに取引所に伝えられて、それを取引所の仲介業者の人に伝える役目の人です。
 それが今では、何だか電光掲示板に文字と数字がグルグルと回転していて、まばらに人がいてコンピューターの端末を眺めている光景となりました。

 この当たりの流れは、
初心者のための証券のある生活
さんの記事に詳しいですし、俺のところにコメントを下さった
オトナですから by eiko4649
 さんの記事にも取引所までの流れが書かれています。コンピューターなど無かった昔の取引は、全て人力であったわけですが、それが徐々に機械化され、全てが機械化されたのは1999年のことです。
 で、人力でやっていれば、当然間違いが起きる可能性も高いわけで、実際それはしばしば起きていたでしょう。間違いは誰でも犯すもので、新人さんはその確率が高いでしょうけど、ベテランでもやらかすことはあったでしょう。


 ここまでは取引所の話です。次に「株価情報」について。

 一昔前まで、一般投資家が株価を知る手段は、新聞の株価欄が最大のものでした。今でもそうかも知れません。朝刊には昨日の取引所での始値・高値・安値・終値出来高が載っています。しかしこれは過去の値段です。現在の株価がどうなっているか知るには、テレビ東京の株価情報および、ラジオでの実況中継が主な手段で、その他、証券会社の店頭にある株価ボードを見るか、証券マンに問い合わせるという方法もありました。
 しかし、インターネットの発達によって、ネットトレードができるようになり、個人投資家が、現時点での株価を知ることが可能になり、自分が発注した株式注文が、いくらで約定したのかも、瞬時にわかるようになりました。便利な世の中になったものです。今まで約定案内は、証券マンからの連絡で知るしか方法は無かったのですから。

 しかし、それは一方では、注文を間違えたとき、取消がきかないということを意味します。間違った取引をしてしまっても、その約定がまだ知られていなければ、お互いが了承すれば、取り消すことだって不可能ではないでしょう。しかし現在では、取引が成立したことは、情報技術の発達によって、不特定多数がリアルタイムで知っているのです。そしてその情報を見た不特定多数の投資家は、その情報を元に、次の投資行動を決定します。それは当該株式だけでなく、全ての投資対象に影響します。それを全て遡って無かったことにするのは、現実的には不可能です。

 株式市場は非情であるといっても、それは、そういう諸々の事情があるわけで、人力でやってた頃の非情と、現代の発達した時代の非情は、その意味するところは同じ考え方ではあるけれど、環境の変化が影響するところが大きく、「人間性」という要素が入る余地が少なくなっているのが原因であろうと思われ、だからといって、今さら「旧き良き時代」に戻すことはできません。なぜなら「人間臭い」ということは、より不正が入り込む余地が大きいということも意味するからです。