注文の多い料理店(2)

それにしても、この作品は短いながら、奥が深い。
検索してみると、実にいろいろな解釈がある。
いろんな解釈があるということは、この作品を読む読者もまた、作中の二人の男同様、自己に都合の良い解釈ができるという構造になっているということなのだろうか?よくわからないけど。


普通に読むと、大きなツッコミ所がある。
二人の連れてきた二匹の犬は死んでいるのだ。
「死んでしまいました」とはっきり書いてある。男達が死んだと勘違いした、あるいは思い込まされたと解釈しているのもあるようだけど、これは男達のセリフではないのである。「死んでしまいました」と書いてあったら、それは犬がその時点で死んでしまったと解釈する以外なかろうと思うのである。それなのに、後半でその二匹の犬が普通に登場してくるのである。そこに何の説明もない。まったく辻褄が合わない。
これは作者のミスではなく、おそらくわざとそうしているのだろう。だがその意図は不明である。


というか、それ以前の問題として、そもそも、いくら山奥だからって犬が泡を吐いて死んでしまうなんて異常である。異常であるのに二人の男は、金銭的損失の話しかしない。これまた異常である。ところが、ざっと見た限りの解釈では、そこではなくて、犬が死んだのに悲しまないということにばかり気を取られているようだ。(ちなみに動物の死を悲しまないという感想こそが「都会的」なような気がしないでもない)。


まあ、考えれば考えるほど、よくわからなくなるんだけど、それが作者宮沢賢治の狙いかもしれない。