鹿政談

落語『鹿政談』に出てくる奉行は3つの説があるがどれが正しいのかについて(愛・蔵太の少し調べて書く日記)
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060611#p1

ところが、五街道弥助の『鹿政談』の中では、この奈良奉行の名前は「松野河内守」になってるんですね。


5月31日 「鹿政談」 五街道弥助(ぽっどきゃすてぃんぐ落語
http://www.podcastjuice.jp/rakugo/2006/05/24_3e37.html

そこへ御奉行様がお出ましになりまして、この方は根岸肥前守という、後に江戸南町奉行に栄転をなさいました、まことに慈悲深い、お調べの上手な方で。


根岸肥前守」ですよね。


ちなみに去年の、
10月5日  「鹿政談」 柳家小太郎
http://www.podcastjuice.jp/rakugo/2005/10/105__0504.html

この時の奈良奉行というのが松野河内守様という方で、この方はこの後、大阪の西町奉行となりまして、かの忠臣蔵でおなじみの天河屋義平、実録のほうで申し上げますと天野屋利兵衛を情をもってお裁きになったあと、江戸の北町奉行にお座りになったという方。この時は奈良奉行着任早々の出来事でございます。


忠臣蔵六段目
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/bunseki11.htm

夜前弥五郎殿の御目に掛かり、別れて帰る暗紛れ、山越す猪に出合ひ、二つ玉にて撃ち留め、駆け寄つて探り見れば、猪にはあらで旅人、南無三宝誤つたり。薬はなきかと懐中を探し見れば、財布に入つたるこの金。

五街道弥助)

「近寄り見れば犬ではあらずあれなる鹿が南無三宝、薬はなきやと懐中を…」
「控えろ、それは忠臣蔵六段目である。」

柳家小太郎)

「ぱったりひっくり返った確かな手ごたえ。そばへ寄ってみますと、犬ではあらじこれなる鹿。南無三宝、薬はなきやと懐中を…」
「黙れ、それは忠臣蔵六段目である。」


落語と仮名手本忠臣蔵の関係(ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E5%90%8D%E6%89%8B%E6%9C%AC%E5%BF%A0%E8%87%A3%E8%94%B5#.E6.8F.8F.E3.81.8D.E3.81.9F.E3.81.8B.E3.81.A3.E3.81.9F.E5.8F.B2.E5.AE.9F

六段目:鹿政談
くすぐりとして使われる。


類話
八百屋お七ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E5%B1%8B%E3%81%8A%E4%B8%83

その時彼女はまだ16歳になったばかりであったため奉行が哀れみ、お七は15歳だろうと聞いた(15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならない)が、彼女は正直に16歳であると主張し、お宮参りの記録を証拠として提出したほどだったという。


この奉行は南町奉行、甲斐庄飛騨守正親。
ところで、忠臣蔵の登場人物に土屋逵直(つちやみちなお)という人物がいるそうで、この人の邸のお隣が吉良邸。で、この人の正室は甲斐庄飛騨守正親の娘だそうな。
http://www.geocities.jp/kimkaz_labo/tsuchiya.html


お七の放火が1683年。忠臣蔵事件が1703年(新暦)。ちなみに正親が南町奉行だったのは、1680〜1690年。(奉行の人事異動)
http://gakubee2.web.infoseek.co.jp/t-data/bugyo.htm


何かいろいろと繋がってて面白い。


ところで全く話はずれるけど「お七」は「おしち」と読むのが正しいのか、「おひち」と読むべきか?
「ひち」で変換すると「火地」と出る。

その48組を1番から10番までに分けたが、これも「四」は「火」に聞こえる、「七」は「火地(ひち)」に通じることからそれらを除いて8組しかなかった。

(わが町八丁堀 八丁堀の歴史2)
http://homepage2.nifty.com/makibuchi/50kinen/070.htm


思いつきだが、何か怪しい。どこまでが史実なんだろう?調べてもよくわからない。