⇒静岡新聞「不適切な引用」でおわび ウィキペディアから(朝日新聞)
問題になったのは、6月29日付朝刊の宮沢喜一元首相の死去をテーマにした記事。「(宮沢元首相が)七〇年代の外務大臣在任時、旧ソ連の古強者グロムイコ外相との北方領土交渉では、のらりくらりと話をはぐらかすのに業を煮やし、恫喝(どうかつ)して席に着かせたという伝説もある」という個所と、宮沢元首相のサンフランシスコ講和会議50周年式典でのスピーチを「日米関係の二十一世紀への遺言」と評した2カ所が、ウィキペディアからの引用だったとした。
執筆した論説委員が広く知られたエピソードと思い込み、出典を省いたという。読者から指摘があった。
ウィキペディアは不特定多数の人がネット上で執筆できる百科事典。ただ、誤った情報が書かれる場合もあり、修正や追加が繰り返されている。
要するに、真偽不確かなネット情報を、それと知らせずに、新聞社が事実として記事にしたということ。
なお「「恫喝(どうかつ)して席に着かせた」は「伝説」とあるが、そういう「伝説」があること自体が「事実」であるように書いたという意味。ウィキペディアに書いてあるということ自体が「伝説」がある証拠ということもできなくはないが、それを言ったら、ウィキペディアが初出であっても「伝説」になってしまう。このへん以前「都市伝説」の項目で議論があったと記憶している。ややこしい。
論説委員は「広く知られたエピソードと思い込み、出典を省いた」と証言しているそうだ。これだけだと何のことかわからない人もいるだろうけど「広く知られたエピソード」は出典を省いても構わないという意味。例えば「犬は哺乳類」という事実を、何かの文献で知ったとしても、いちいち出典を書く必要はない。当然といえば当然。しかし、論説委員は、ウィキペディアの記事のみで「広く知られたエピソード」だと判断したのだろう。その他のソースを調べたのなら、そう言うのが自然だから、おそらくしなかったのだろう。プロとして失格。情けない。
ところで、読売新聞の記事では、
⇒ネット事典の記述を不適切引用、静岡新聞社がおわび記事(読売新聞)
同社によると、問題の記事は6月29日に掲載されたコラム「大自在」で、28日に亡くなった宮沢喜一元首相を悼む内容。2か所の記述で、ウィキペディア を参考にしたが、引用の出典を明示しなかった。読者から文章が酷似しているという指摘があり、論説委員は「このエピソードが広く知られていると思い込んだ」と引用の事実を認めた。
とある。朝日がネット情報の引用に重点を置いているのに対し、著作権の問題に重点を置いている。
1970年代の外務大臣在任時、旧ソ連の古強者グロムイコ外相との北方領土交渉では、のらりくらりと話をはぐらかそうとするグロムイコを恫喝して席につかせたという伝説がある
2001年に行われたサンフランシスコ講和会議50周年の式典では、会議出席者唯一の生存者としてスピーチを行い、「個別的自衛権の論理的延長として、集団的自衛権を位置づけることを提案する」と述べ、部分的な集団的自衛権の行使を容認すべきだと主張、それを日米関係の21世紀への遺言であるとした。
⇒「大自在」6月29日(金)(削除済み)
70年代の外務大臣在任時、旧ソ連の古強者グロムイコ外相との北方領土交渉では、のらりくらりと話をはぐらかすのに業を煮やし、恫喝(どうかつ)して席に着かせたという伝説もある
しかし、2001年に行われたサンフランシスコ講和会議50周年の式典で、宮沢氏は、唯一の生存者としてスピーチを行い、「個別的自衛権の論理的延長として、集団的自衛権を位置付けることを提案する」と述べ、これを日米関係の21世紀への遺言としたことは印象的だった
確かに「酷似」している。で、これと『論説委員は「このエピソードが広く知られていると思い込んだ」と引用の事実を認めた。』は話が噛み合っていない。もし「このエピソードが広く知られている」にしても、丸写ししているだけだからアウトですよね。
それともう一つ。マスコミ報道での「引用」という言葉の使い方についてなんだけど、この「引用」とは著作権法上の「引用」ではないと思われ。
古人の言や他人の文章、また他人の説や事例などを自分の文章の中に引いて説明に用いること。(「大辞林 第二版」)
とあるので、「許可が必要な引用を無断でした」という意味でなら間違ってはいるわけではないと思う。ただ、読者の中には、著作権法上の「引用」という意味で理解して、使い方を間違っていると指摘する人もいて混乱している。それに、記事で使われる「引用」は国語辞典的な意味の「引用」だけど、記事の中の論説委員は、著作権上の「引用」を念頭に入れて発言しているなんてこともあって、非常にややこしくて困る。