スピリチュアルカウンセラーも良いことを言う

そりゃそうだ。だけど、それは霊能力によるものではない。説教好きのおっちゃんやおばちゃんだって良いことを言うだろう。目新しいことを言ってるわけじゃなくて、ありきたりの説教。それがなぜスピリチュアルカウンセラーの口から出ると特別な言葉になるのだろう?親の言うことには反発するが、よその人の言うことは素直に聞くっていうのと同じ感覚なんだろうか?なんでこんなこと書いたかつうと、スピリチュアルカウンセラーについての批判が目的じゃなくって、宮台氏のあの意味不明な文章がなぜ人気があるのかという疑問について考えていて思い浮かんだから。すでに何回も書いたが、俺は宮台氏が何を言っているのかほとんど理解できない。というかこの際はっきり書くけれどトンデモじゃないかと思ってる。ただ、それにもかかわらず部分的に魅力的なことを言っている。たとえば、俺の場合だと「右翼的な議論にせよ、左翼的な議論にせよ、あまりにレベルが低い」とか。嗚呼、まったくその通りだ。俺が常々考えていたことを、あの宮台先生が主張しておられる。感謝感激、先生こそ師と仰ぐべき存在だと、ついうっかりと入信してしまいそうになる。このあたりがスピリチュアルカウンセラーを信じてしまう過程と似ているんじゃないかと。でも、よくよく読めば、確かにその部分はその通りだが、他の部分はどうかといえば、共感できないどころか、わけがわからない、それどころか、無理矢理な屁理屈だと思われる箇所がいっぱいある。そして、共感した部分だって、よくよく考えてみれば、それは宮台先生だけが言っていることじゃあない。じゃあ、いらないじゃんって結論になるよね。ちなみに俺はある歴史作家が、日本の歴史学には宗教的・呪術的側面が欠けていると訴えているのを見て、嗚呼その通りだと、それだけでその作家を支持してしまったという恥ずかしい過去があったりするのでございます。


ってこんなこと書いちゃって大丈夫だろうか。