鍛冶屋のゴロー

ウィキペディア加藤清正の項を何気なく読んでいて知ったんだけど、清正の父は加藤五郎助という鍛冶屋なんですね。

永禄5年(1562年)、尾張の鍛冶屋加藤五郎助(清忠)の子として、尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)に生まれる。父は清正が幼いときに死去したが、母・伊都が秀吉の生母である大政所の従姉妹(あるいは遠縁の親戚)であったことから血縁関係にあった秀吉に仕え、天正4年(1576年)に170石を与えられた。

加藤清正(ウィキペディア)

 加藤清正公の父清忠は、美濃の大名斉藤山城守道三に仕えていたが、道三の嫡子義竜が反乱したので、母とともに尾張にのがれ、愛智郡中村に住んだ。清忠は 中村へ赴く途中足をいためたため、村の鍛冶屋清兵衛について鍛冶職を習うことになった。この清兵衛のす衛娘に伊都女というのがいて、清忠と結ばれることに なった。清正公は、この清忠を父とし伊都女を母として、永禄五年(1562年)六月二十四日に誕生した。

加藤清正公 御生誕の地 日蓮宗正悦山妙行寺


ここに書いてある、「中村へ赴く途中足をいためたため、村の鍛冶屋清兵衛について鍛冶職を習うことになった。」というのも、鍛冶と「足萎え」の関係を考えると興味深いところ。


「五郎」と金属の関係については前に書いた。
森の石松の謎