五郎八姫

ゴローつながりで伊達政宗の娘の五郎八姫(いろはひめ)。

1594年6月16日、京都の聚楽第屋 敷にて生まれた。政宗正室の愛姫との間に結婚15年目にして初めて授かった待望の嫡出子であり、当然夫妻は伊達家後継者となる男児誕生を熱望していたで あろうが、生まれた子は女だった。このため、男子名の名である五郎八しか考えていなかった政宗が、そのまま五郎八姫と命名したといわれている。

五郎八姫(ウィキペディア)


この奇妙な名前も、やっぱり金属と何らかの関係があるんじゃないだろうかと思っているんだけれど良くはわからない。


気になるのは父が「独眼」であること。そして名前の「政宗」。


前に高崎正秀が「政宗」の名は、刀工「正宗」と関係があるかもしれないというようなことを書いているのを読んだことがある。

正宗(まさむね、生没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に相模国鎌倉で活動した刀工。五郎入道正宗岡崎正宗、岡崎五郎入道とも称され、日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人。「相州伝」と称される作風を完成し、多くの弟子を育成した。正宗の人物およびその作った刀についてはさまざまな逸話や伝説が残され、講談などでも取り上げられている。「正宗」の名は名刀の代名詞ともなっており、芸術性の高い作刀は後世の刀工に多大な影響を与えた。

正宗(ウィキペディア)


正宗も「五郎」なんですよね。