「大石八左衛門」とは何者か?

なぜお相撲さんといえば「どすこい」なのか? | Kousyoublog

全く本筋とは関係ない話だが気になってしょうがない。


滋賀県長浜市鳥羽上町の相撲甚句

アーヨーエ 昔大石八左衛門は 桔梗の御紋を破るにアードッコイドッコイ
アー女で板額門破る 常盤御前は 我が子のために貞女破る
悪七兵衛景清は(中略) 日清戦争のこの時にゃ 原田重吉 平城門を押し破る
下って明治三十七、八年の戦争にゃ 陸軍海軍 旅順港を押し破る

「大石八左衛門」とは何者か?というわけで、ちょっと調べてみた。結論から言えばわからなかった。ただ、謎を解く鍵はあるように思われる。


それは「女で板額門破る」のところ。これは何ぞや?と検索してみたら「板額」というのは女性の名である。
板額御前 - Wikipedia


では「板額門破る」とは何かといえば
《板額門破り》 とは - コトバンク

『和田合戦女舞鶴』(わだかっせんおんなまいづる)とは、人形浄瑠璃・歌舞伎の演目のひとつ。全五段、元文元年(1736年)3月4日より大坂豊竹座にて初演。並木宗輔の作。現在は二段目の「藤沢入道館」の後半部、歌舞伎では「板額門破りの場」が通称『板額』(はんがく)として上演されている。

和田合戦女舞鶴 - Wikipedia


つまり、これは史実ではなくて、俗説を題材にした創作であり、歌舞伎・浄瑠璃によって人々に知られた話だということになる。そう考えてみれば、「常盤御前」も「悪七兵衛景清」も歌舞伎・浄瑠璃の題材として有名である。ということは「大石八左衛門」も同様だろうと推測できる。


しかし、検索してもそれらしき人名は見当たらない。というわけで行き詰ってしまった。



ただし、気になる人物が一名いる。名を「石川八左衛門」という。「大石」と「石川」だから似ていなくもない。この「石川八左衛門」は実在人物だが、歌舞伎・講談で著名だったようだ。


実在する「石川八左衛門」は幕臣で江戸隅田川河口の鎧島を領し屋敷を構えた。それでその島は「石川島」と呼ばれた。「石川島」は「八左衛門島」とも呼ばれたそうだ。
石川八左衛門 とは - コトバンク
石川島 とは - コトバンク


それはそれで面白い話だが、それ以外にこれといった説明がないので、特にこれといった活躍をしたわけではないのだろう。


一方、歌舞伎・講談の「石川八左衛門」は徳川家を救った忠臣らしい。
国立国会図書館デジタルコレクション - 講談一席読切 石川八左衛門 市川左団次
どういう活躍をしたのかというと、この絵に書いてあることだけではよくわからないけれど、宇都宮城釣天井事件に関係する。
宇都宮城釣天井事件


注目すべきは「怪力」と書いてあることだ。相撲甚句に謡われるに相応しい人物であることだけは確かだろう。


なお、詳細については、「将軍家の御家騒動」(三田村鳶魚)によると、宇都宮城釣天井事件の際に、石川八左衛門が将軍徳川秀忠を駕籠に乗せて宇都宮から江戸まで一人で担いで運んだそうだ。もちろん史実ではない。


ここでさらに注目すべきは、江戸に着いたのが夜中で大手門が閉まっていたので駕籠の棒で門を破ったという話だ(なお門破りの咎で石川島に流されたそうな)。


先の甚句に「女で板額門破る」とあり、さらに「原田重吉 平城門を押し破る」とあり、門破りが2つ出てくる。そして「大石八左衛門は 桔梗の御紋を破る」だ。


これは「桔梗の御紋」ではなくて「桔梗の御門」なのではないか?江戸城桔梗門は江戸城内郭大手六門の一つである。
桔梗門 とは - コトバンク
(桔梗門の瓦には太田道灌の桔梗紋が付いていたともいわれる)


なお石川八左衛門には他にも怪力伝説があるようで、家光の時代に異国から献上された鎧が重くて誰も持ち上げられないのを八左衛門が片手で持ったので石川島が与えられたという話もあるのだそうだ。


また『近古史談』によると、家康時代の話として、敵の矢が八左衛門の口中に刺さり、家康が八左衛門の肩を踏みながら矢を引き抜いたら血だらけだったのに翌日にはケロリとしていたそうだ
しかし次の日、なんと八左衛門は - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
(これは片目を射抜かれる話の変形だと思われ)。



というわけで「大石八左衛門」が何者かは結局わからなかったが、実は「石川八左衛門」のことである可能性が高いように思うのであった。