うつろ舟についてのトンデモ考察(その2)

滝沢馬琴の『兎園小説』によると、虚舟が発見されたのは、小笠原越中守の知行所である常陸の国の「はらやどり」という浜であった。ところが『梅の塵』によると虚舟が漂着したのは「原舎浜(はらとのはま)」となっている。


ところが、ところが、さらに「京舎ヶ濱」であるとする史料も存在するらしい。
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微妙に重なってはいるけれど、なぜこうも異なった地名になっているのか不思議。ちなみにどれも実在の地名ではないらしい。


だが、小笠原氏の知行所であるというところに関しては一致している。『新・トンデモ超常現象 56の真相』(太田出版)の記事によると、小笠原越中守は実在した旗本で「1797年に石高3000石で寄合席にいて、常陸の国と伊勢の国に知行地を持っていたことが記録に残っている」そうだ。


これが俺のトンデモアンテナにびびっときた。「常陸の国と伊勢の国」と聞くと、俺は真っ先に「水銀」を連想してしまう。それと「ヤマトタケル」。


続日本紀』には、文武天皇二年九月二十八日(698)、伊勢国常陸国備前国伊予国日向国に朱沙(水銀の鉱石)を献じさせたとある。伊勢と常陸だ(ついでにメキシコ女王の延岡は日向国、延岡にはヤマトタケルの伝説もあったりする)。


(参考)
全国有数の伊勢水銀−奈良の大仏鍍金にも貢献


さて、元に戻って、『兎園小説』にある「はらやどり」の浜についてだけど、『新・トンデモ超常現象 56の真相』(太田出版)の加門正一氏は、

最後に「はらやどり(浜)」「原舎浜」。この地名の中の漢字「舎(訓:やどり)」には「避難する」という意味があります。伊勢の国に「やどり島」という島があり、その島は嵐の時の避難港として使われていました。また、奄美大島には「やどり浜」という海岸も実在します。細かい地名は知らなかった江戸の住人は、「はらやどり(浜)」「原舎浜」という地名を聞いて、いかにも異船が漂着した海岸にありそうだと納得し、まさか架空の地名とは考えなかったでしょう。

と論考している。しかし、俺は全く違った考えを持っている。それは「はら-やどり」ではなく、「はらや-どり」なのではないかということ。「はらや」とは水銀粉のこと。


はらや 【〈水銀粉〉】 (goo辞書)

水銀に食塩・にがりなどをまぜて加熱して得た昇華物。一三世紀ごろから伊勢地方で製造され駆梅剤・利尿剤・下剤として用いられた。汞粉(こうふん)。軽粉。伊勢白粉。水銀(みずがね)の滓(かす)。[日葡]


この伝説には金属臭が漂っているように感じられる(もちろん俺の妄想)。