⇒教育刑で犯罪抑止した世界で最初の人物は鬼の平蔵だった - 地下生活者の手遊び
俺は江戸時代の治安がどうだったかについて、まるで無知なんだけれど…
江戸の人口は100万人程だったと言われている(が、実は良くわかっていないらしい)。この内、町人(町方)は50万〜60万程度だったらしい。で、それに対するに、町奉行は南北2名、1ヶ月交替で月番と非番になる。その下に、それぞれ与力が25人。同心120人。奉行所は時代劇を見ると、まるで現代の警察のようだけれど実際は行政・司法を担当している。たったこれだけの人数で、しかも警察の仕事だけをしているわけではないのだから、その下に岡っ引がいるにしても、典型的な「小さな政府」だ。
その「小さな政府」で江戸の治安が守られていたのはどうしてかってことなんだけれど、一つの考え方としては江戸の犯罪数が少なかったとういことになる。しかし、もう一つの考え方としては、「犯罪」があっても「犯罪」と見なさなかったのではないかというのもアリだと思う。つまり、「お上」に訴えないで、当事者同士で解決してしまうということ。
「お上」に訴えれば、費用がかかるし、時間もかかるし、権力の介入も招くしで何かと面倒。訴えるのは、権利関係が複雑に絡んでいるとか、重大事件であるとか、どうしても公的に懲らしめてやりたいとか、そういう特殊なケースが多かったのではないだろうか。
⇒深夜の遠吠えfile20・江戸の治安はよかったか
ここにもそんな風に書いてある。ただし、これを「隠蔽」とするのはどうなのかなあとは思う。それは「近代的」な見方であって、中世の「自治」を重んじた社会にあっては、これこそが当時の「あるべき姿」であったように俺には見える。(ちなみに当事者同士で解決するということは、同じような事件であってもケースによって解決方法が異なるということですよね)。
で、仮にそうだったとしたら、そういったことは公的に処理されたものではないので、中々記録に残らないだろうから不明な部分が多かろう、すると、わかる部分だけで全体を論じると、実態とは異なってしまうこともあるだろうと、そんなことも考えるのであった。まあ、良く知らないんですけどね。もちろんイギリスの事情はさらにわからん。
(もちろん今だってスーパーの万引きが全て警察に通報されているわけじゃないですしね)