三作石子詰

その時彼女はまだ16歳(当時は数え年が使われており、現代で通常使われている満年齢だと14歳)になったばかりであったため奉行甲斐庄正親が哀れみ、お七は15歳だろうと聞いた(15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならない)が、彼女は正直に16歳であると主張し、お宮参りの記録を証拠として提出した程だったという。

八百屋お七(ウィキペディア)


江戸では「15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならない」そうだが、一方、奈良では鹿を誤って殺してしまった13歳の少年が生き埋めにされたのであった。
三作石子詰の話


まあ、本当の話なのか、いつの時代のことなのか、わからないんですけどね。


なお、
深層歴史 奈良の鹿と人
によると、江戸時代ではないが、天文20年(1551)に鹿を殺してしまった10歳の少女が処刑されたという記録があるのだそうだ。