八百屋お七

この前も書いたんだけれど、「八百屋お七」の話ってどこまでが史実なのだろう?

八百屋お七1666〜1683 (寛文6年〜天和3年)ほど、誰もが知っているわりに、真相が分かっていない事件も例がない。実在した十六歳の少女で、鈴ヶ森刑場(小塚原と云う説もあるが、火刑は鈴ヶ森と決まっていた)で火あぶりの刑にされたのは事実だが、その真相については恋の炎に狂った末の放火と云われているが、今もってはっきりとした証拠の文書などが発見されていない。

ただ井原西鶴浮世草子好色五人女」や河竹黙阿弥などが脚色し、芝居や人形浄瑠璃によって日本の津々浦々まで知れ渡っていった。

八百屋お七 - 東京むかし散歩

今回の発表では第一に『近世江戸著聞集』のみならず、『天和笑委集』も史実を正確に記したものではなくその記載を実説とするのは誤りであることを『御仕置 裁許帳』などを手掛かりに論証したい。次いで『五人女』の内部徴証からもこの物語が事実に基づくものであるとは言い難い点について考察する。時間が許せば 八百屋お七が実在の人物とされるに至った経緯について、恐らくはこれが歌舞伎・浄瑠璃に仕組まれて以後のことではないかと言う論点から報告したい。

八百屋お七は実在したのか(日本近世文学会)


俺も「八百屋お七」は限りなく都市伝説だろうと思うんですね。まあ俺の場合は史料を精査したわけではなくて直観にすぎないんですけどね。