空気が読めない田舎者

この前、実際の年寄りが「わし」とか「じゃ」とか言ってないのに、漫画等ではそう表現される「役割語」について書いたけれど、この手のことは何も「言葉」だけとは限らない。


で、「空気が読めない人」の役割を誰が担当しているかと考えた時に、それは「田舎者」であるケースが多いのではないだろうか?あとは「野生児」とか。そして、その背景には「後進的」「野蛮」というイメージがあるのではなかろうか?


ところが「空気を読むことを強制する日本」という話になると、今度は空気を読むことを「美徳」とする日本という国が「田舎」になってしまうように思われ。その背後には「村落共同体」内における堅苦しさを「後進的」だと捉える思想があるように思われ。