「しち」と「ひち」

「いばらき」「いばらぎ」つながりで。


関西では「シチ」は「ひち」: 天漢日乗

前にも上げたと思うのだけれども、大阪の十三(じゅうそう)に2012年12月まで存在した
 ひち(質)
の看板。

(「関東では」は「関西では」のタイプミスだと思われ)


ところが名古屋でも「質屋」は「ひちや」である。
野村ひち店ホームページ (野村質店・野村屋)


なぜ「ひち」なのかというと、
なぜ名古屋は『ひちや』なのか 3: ツッコミ鑑賞会
を見ると諸説あるようだ。「質」を「ひち」と読むからという説はなくて、その代わりに「七」が縁起が良いとか、「七つ道具」だとかいった説がある。つまり一旦「七」に転換して「七」を「ひち」と読むという形。


一方、よく知られたことだが、江戸っ子も「質屋」は「ヒチヤ」である。
江戸言葉 - Wikipedia
これは「ヒ」と「シ」が入れ替わるために起きることであって、大阪で「ヒチ」とは言うけれど「シガシ(東)」と言う話は聞いたことがないので原因が違うのかもしれない。


なおウィキペディアには、

類似の現象は東関東(茨城弁など)から東北にかけての一部の方言や琉球語などにも見られるが、

とある。先に書いたように俺の育った環境には茨城出身者が多く、そのせいで「茨城」を「イバラギ」と間違って覚えていたのではないかと推測しているのだが、「質屋」はずっと「しちや」であって「ひちや」だとは思ってなかった。しかし「七」は「ひち」だとずっと思ってて、今でも時折混乱してしまうので、なるべく「なな」と言うようにしている。


なお大阪や名古屋の質屋の看板には「ひち」と書いてあり、「しち」を「ひち」と発音するのではなくて「ひち」を「ひち」と発音しているということになるのではないかと思われ(ただし上に書いたように縁起担ぎなのかもしれない)、東京ではそういうことは無いと思われ。


縁起担ぎといえば江戸の町火消の「いろは組」

いろは文字のうち、「へ」「ら」「ひ」「ん」はそれぞれ「百」「千」「万」「本」に置き換えて使用された。これは、組名称が「へ=屁」「ら=摩羅」「ひ=火」「ん=終わり」に通じることを嫌ったためであるという[注釈 14]。

火消 - Wikipedia
「ひ」が「火」に通じるので縁起が悪いということで、「ひ」が「し」になってしまうという理由は無さそうではある(それだったら「し」も避けるだろうし)。
しかしながら、注釈に

四番組と七番組が吸収合併された理由も、「四=死」「七=質」に通じるため、など諸説がある。

とあって、それももっともな話ながら、こっちも「し」と「ひ」が関係してくるので、発音が理由だったということはなかったのだろうかと多少思ったりする。


あと前にも書いたけれど「八百屋お七」。史実ではないというのが定説となりつつあるんだけれど、「お七」は「おひち」で「火地」に繋がるんじゃないかと、かねがね思ってるんだけど、そういう説があるのかは知らない。


ところで
サ行とハ行の揺れ
を見ると、「関西では」とか「名古屋では」「江戸っ子は」とかいった話ではなくて、相当複雑な話なのであろうと思われる。


※ もっとややこしいのは布団で正しくは「敷く」だから標準語では「シク」なのだが「ヒク」という地方もある。で、「この地方出身者は「ヒク」と言うんだよ」という話ならいいのだが、俺は自分が「シク」と言う人間なのか「ヒク」と言う人間なのかが自分でもわからないで、言おうとするとどっちだったか悩むという状態になっているのであった。


それはおそらくここに書いてあるようなことが原因と思われ。
布団は「しく」もの? それとも「ひく」もの? - BIGLOBEニュース