正論原理主義

「文藝春秋」四月号に掲載された村上春樹の「僕はなぜエルサレムに行ったのか」という文の中にある「正論原理主義」という言葉が話題になっている。

asahi.com(朝日新聞社):村上春樹さんがエルサレムに行った理由 誌上で告白 - 文化


正論原理主義」とは何ぞや?「文藝春秋」を読めばいいのだろうが、まだ読んでいない。それに、俺は村上春樹の小説を読んだことがないし、どんな人なのかも知らない。ただ、ネット上では、一部を引用しているところがあるので、それを読んでみた。


「正論原理主義」を乗り越えて:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
の引用を引用。

 ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。
  一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。
  ベトナム反戦運動学生運動は、もともと強い理想主義から発したものでした。それが世界的な規模で広まり、盛り上がった。それはほんの短い間だけど、世界を大きく変えてしまいそうに見えました。でも僕らの世代の大多数は、運動に挫折したとたんわりにあっさり理想を捨て、生き方を転換して企業戦士として働き、日本経済の発展に力強く貢献した。そしてその結果、バブルをつくって弾けさせ、喪われた十年をもたらしました。そういう意味では日本の戦後史に対して、我々はいわば集合的な責任を負っているとも言える。

正直良くわからん。


ポイントとしては

大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。

の部分だろうか。


理性には限界がある。保守主義では耳慣れたことだ。

「狂人とは理性を失った人のことではない。狂人とは理性以外のあらゆるものを失った人である」(チェスタトン)、「人類全体のなかで病的な例外をなしているのはわれわれ知識人のほうなのだ。堕落した階級に属しているのは実はわれわれなのである」(同)というのはどういうことか。それは、その存在意義を合理的に説明するのが難しいという理由だけで慣習を破壊する、その近代の運動を指導してきたのが知識人だということである。

(『保守思想のための39章』西部邁 ちくま新書


そして学生運動は悲劇を生み、挫折した。それだけなら、その通りですね、それを教訓にしましょうねということで終わりだ。


だが、それで終わらない。理想を捨てた彼らは企業戦士になりバブルをつくって弾けさせ、喪われた十年をもたらしたという。そこまで繋がっている。つまり、村上春樹の言いたいことは「正論原理主義」の行き着く先は、挫折であり、さらに「反動」としての理想の放棄であり、それは悲劇をもたらすと、そういうことなのだろうか。