ヤルゼルスキ

ヤルゼルスキは、戒厳令を敷いたことで非難されているが、連帯を解体させず、民主化へと導いたという点でもっと評価されていい人物である。戒厳令中、彼は民主化を主張するポーランド人を弾圧したが、熱心なカトリック信徒である彼は、教会に逃げ込んだデモ隊に対して弾圧を行なうことは決してなかった。またソ連政府が衛星国である当時の東欧諸国がソヴィエトから離脱しようとした時容赦なく軍事侵攻している(例、ハンガリー動乱プラハの春)ことを目の当たりしている以上、もし戒厳令を敷かなければソ連政府はポーランドへ軍事侵攻を実行に移すことは明白であった。実際にソ連からは有効な対策を打たなければ実力行使を行うという期限付き最後通告を受けており、放置しておけばソ連の介入でポーランドが壊滅すると考えた末の決断であった。ヤルゼルスキ自身ものちに、「あれ(戒厳令の布告)は、(ソ連の介入という事態に比べれば)より小さな悪だった」といった発言をしている。ハンガリーチェコスロヴァキアで起きた悲劇を未然に防いだことは、彼自身の功績であったと断言してもいいだろう。またポーランド民主化運動も彼が拒否し弾圧を過激化させていたならば、平和的に無血で政権交代に及ぶことが出来ず、ルーマニア革命や、ユーゴスラヴィアの様な内戦に陥る不安もあったのである。東欧革命では、ワレサに主役の座を譲ったが、彼自身も革命的政治家として、東欧革命の主役の一人であったと言っても過言ではないはずである。

ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ(ウィキペディア)

この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。

って注意書きがあるけれど、俺もこの記事を書いた人と同意見(といっても詳しいわけじゃない。もちろん、そうじゃないんだって意見もあるんだろうとは思う)。


起訴されているのか。まあ、損な役回りではありますね。