ナチス式敬礼のルーツはアメリカ(なのかも)

Le Serment du Jeu de paume
ダヴィッド『球戯場の誓い』

球戯場の誓い(きゅうぎじょうのちかい、仏: Serment du Jeu de paume、英: Tennis Court Oath)とは、フランス革命直前の1789年6月20日、三部会の第三身分議員がヴェルサイユ宮殿の球戯場(ジュ・ド・ポームのコート)に集まり、憲法制定まで解散しないことを誓い合った事件。英語の重訳からテニスコートの誓いとも呼ばれる。
球戯場の誓い - Wikipedia

民主主義の幕開けですね。この絵にはロベスピエールさんも描かれているわけですが彼は独裁政治家となりました。彼は独裁者じゃないなんて意見もありますが、絶対的な理性崇拝が独裁に辿り着くのは自然な流れであり、それが理解できない人は現在でも多数いるわけであります。


それはともかくナチス式敬礼。まあ大元を遡ればローマにたどりつくのかもしれないけれど、じゃあ直接的に、ローマの伝統を引き継いだとか復活させたとかいうこのかというと、どうやらそうではない(らしい)。そもそもローマ式敬礼というけれども、実のところ

一般には古代ローマが起源とされるが、しかし古代ローマの当時の文献には記述が無く、ローマ美術の敬礼(挨拶)のジェスチャーとも相違がある。
ローマ式敬礼 - Wikipedia

という代物である。現代の「ローマ式敬礼」の始まりは上の「球戯場の誓い」である。「中興の祖」とでも表現すればいいのかな。絵画表現であって実際にやったわけではないらしい


で、ナチス式敬礼はどういった経緯で出来たのかというと、ルーツは何とアメリカにある(らしい)。なぜ「らしい」と書くかと言えばネットで得た情報でどれだけ確実なのか自信がないから。


Students pledging allegiance to the American flag with the Bellamy salute
ベラミー式敬礼で国旗への誓いを暗誦する学童

「忠誠の誓い」は、バプテスト派牧師でありキリスト教社会主義者であったフランシス・ベラミー(1855年-1931年)と、その従兄弟で社会主義ユートピア作家であったエドワード・ベラミー(1850年-1898年)により、1892年に起草された。ベラミーの手による最初の「忠誠の誓い」は、人気子供雑誌ユースズ・コンパニオン誌の9月第8号に、クリストファー・コロンブスアメリカ大陸発見400周年を記念する、全国公立学校コロンブス記念企画の一部として発表された。
忠誠の誓い (アメリカ) - Wikipedia

このベラミー式敬礼ナチス式敬礼は瓜二つ。ウィキペディアの説明では

誓いの暗誦は敬礼と共に行われる。1892年に採用された初期の敬礼はベラミー式敬礼として知られる。ベラミー式では右手を外側に伸ばして掌を上に向ける。この敬礼はやがて掌を下に向けるやり方に変化した。ベラミー式敬礼がナチス式敬礼と似ていた事から、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は「忠誠の誓い」と国歌斉唱の際の民間人による敬礼として、ベラミー式の代わりに右手を心臓の上に置く姿勢を制定した。合衆国議会が国旗規則を公式に採用した1942年6月22日から、この敬礼が行われるようになった。

とあって「似ていた」とあるだけで両者の関係は書いてない。「ローマ式敬礼」の記事にも

このジェスチャーはイタリアの民族主義者であるガブリエーレ・ダンヌンツィオが脚本した映画Cabiriaで使用された。ダンヌンツィオの影響もあり、このジェスチャーはすぐに、ファシストのシンボルとして採用された。1923年にはムッソリーニ率いるイタリアのファシスト党に段階的に採用された。1926年にはドイツのナチス党が強制的に採用し、1933年にはナチスが権力を握ったドイツ国家でも採用された。また多数のファシストの映画などで使用された。
ローマ式敬礼 - Wikipedia

アメリカとの関係は書いてない。


だが関係があるとする説がある。上のウィキペディアの記事に社会主義ユートピア作家であったエドワード・ベラミー」とある。彼の作品「Looking Backward(邦題「顧みれば」)は大ベストセラーになった。

ドイツの社会心理学エーリヒ・フロムによると、『顧みれば』は「かつてアメリカで出版された最も注目すべき本の中の1冊」であり、『アンクル・トムの小屋』、『ベン・ハー』と並ぶ同時代の3大ベストセラーの一角でもある[4]。この作品『顧みれば』では、1887年の上流階級男性が催眠術で眠りに落ち、社会主義ユートピアが実現された2000年の社会を目の当たりにする。本作は数多くの知識人に影響を与え、当時のマルクス主義者が書いた書物の題名には"Looking Backward"の句が氾濫することになった。フロムいわく、「これは今までに刊行された本のうち、政治活動に本質的な影響を与えた数少ないものの一冊である」[5]。「ベラミー・クラブ」を名乗る団体がアメリカの各地に雨後の筍のごとく設立され、『顧みれば』中のアイディアを議論、もしくは宣伝した。この政治的な動きはナショナリズムとして知られるようになった[6]。ベラミーの小説はいくつかのユートピア的コミュニティーにも影響与えた。
エドワード・ベラミー - Wikipedia

この作品は翻訳され世界中の社会主義者国家社会主義者に影響を与え、 「国家社会主義の聖書(Bible of National Socialism)」と呼ばれた。「ドイツ労働者党」が「国家社会主義ドイツ労働者党」と党名変更されたのもこれが影響している(らしい)。


詳細はここに書いてある。
JESSE OWENS OLYMPICS SALUTES, OLYMPIC OATH & TORCH / FLAME 1936 Berlin & Munich Nazi Olympics & not an ancient Greek salute & not an Olympic salute images http://rexcurry.net/olympic-salute1936.jpg Olympics photgraphs Jessie Owens Nazi salute
Google 翻訳で読んでいるので誤読があるかもしれないので各自で確認するように。


※ 日系人強制収容所星条旗に対してこの敬礼をさせられている写真もある。