検索しても見つからないんだけど、昔話だったか笑い話だったかで、こんな話を聞いたことがある。
むかしむかし、とある島で規則を破った者は罰として隣の島に島流しするというルールyが作られた。その後、隣の島は人が増えて繁栄し、元の島は寂れてしまった云々。
オリンピックの宣誓は「右手を上げて」宣誓するという規則がある。まっすぐに伸ばしてとは書いてないが、初の宣誓が行われたアントワープオリンピックと次のパリではそうなっている。
⇒The Olympic Oath
次のアムステルダムではなぜかHarry Dénisの手が曲がってる。前に書いたようにモニュメントはまっすぐ伸ばしてるので個人的事情があるのだろうか?
次のロサンゼルスはまっすぐ。次のベルリンは画像が不鮮明だが当然まっすぐ。動画で確認できる。
⇒Olympic Sports In Berlin - British Pathé
古代オリンピックはギリシャで開催されローマ征服後も行われたのだから「ローマ式」が正式なのは当然だろう(ただし既に書いたようにこれは「創られた伝統」)。
ところが1948年のロンドンでは右手が曲がっている。なぜかといえば、それはわからないけれども、やはりこれはナチス式敬礼との類似を嫌ったからではなかろうか。アメリカではベラミー式敬礼がナチス式敬礼と似ているので改められている。1952ヘルシンキ、1956メルボルンも曲がってる。これで定着するかと思いきや、「メルボルンオリンピックにおける馬術競技」の宣誓でスウェーデン人のヘンリー・サン・シールがまっすぐ伸ばしてる。1960ローマは曲がってて1964東京はまっすぐ。1968メキシコも不鮮明だがまっすぐっぽい。そして1972西ドイツのミュンヘン。右手を上げるという規則があるにもかかわらず上げてない(別角度の写真でも確認済み)。その理由も不明だけれど、ドイツだからでしょうね、
選手宣誓では右手をまっすぎに上げるのが正式な形と考えてまず間違いない。日本はその通りにやっているだけ。他の国もそうしてた。大戦後になってもそのスタイルが完全に無くなったわけではなかった。
だが今はどうだろうか?外国人あるいは外国育ちの人には日本の宣誓が奇異に見える。それはサッシャさんに限ったことではない。
正しいことをしているのに、正しくないこと・規則を捻じ曲げている人から白い目で見られる。納得がいかない人が出てくるのは当然ではある。
だが、原理原則としては正しくても…ということは良くあることである。
日本がこういう立場に置かれることは、自分が日本人だからかもしれないけど、多いのではないかと思う。
欧米がやってる植民地経営に乗り出したら既に時代遅れで、欧米もやってたことなのに叩かれたり、
オリンピックの行進だって整然とやるのが本来のあり方なのに、日本人の全体主義みたいにみられたり、
日本人の精神主義なんてのも、日本発祥じゃなくて実はヨーロッパから輸入されたものなのに、欧米から批判されたり、
(なお精神主義はオリンピックの創立者クーベルタン男爵とも関わりがあるのであった)
時代は変わるのである。守るべきものは守らなきゃならないが、なんでもかんでも間違ってない、正しいんだといって守り通せばいいってもんでもないと俺は思うのである。